海外文学読書録

書評と感想

アキ・カウリスマキ『マッチ工場の少女』(1990/フィンランド)

マッチ工場の少女 (字幕版)

マッチ工場の少女 (字幕版)

  • カティ・オウティネン
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★★★★

マッチ工場に勤めるイリス(カティ・オウティネン)は、自分の収入で義父(エスコ・ニッカリ)と母(エリナ・サロ)を養っていた。それだけでなく、彼女は家事もやらされている。ある日、ショーウィンドウで派手なドレスを見かけたイリスは衝動買いをする。ところが、家に帰ったら両親に返品するよう叱責された。それを無視してドレスを着てディスコに繰り出すイリス。髭面の男(ヴェサ・ヴィエリッコ)に声をかけられ一夜を共にする。

昨今の「無敵の人」問題を先取りした映画ですごみがあった。寡黙な女が日常の延長上で静かに暴発するところがいい。これに比べたら『ジョーカー』は品がなさすぎる。シンプルな手段で効率よく殺していくからすっとするのだ。「無敵の人」の犯罪とはいえ、殺されて当然の人たちが殺されるので嫌な感じはしない。むしろ、よくやったと褒め称えたくなる。たとえるなら、安倍元首相を銃撃した山上徹也みたいな。不遇な人が復讐を果たす物語には一定のカタルシスがある。

単調な工場勤め、両親による収奪、妊娠中絶問題。こうして並べてみるとイリスの不幸は極めてありきたりである。むしろ、記号的と言っていい。しかし、映像で見るとなかなか閉塞的で心に染みる。イリスはどんなときでも無表情で、将来に希望を持っている風には見えない。ただ生きているだけという感じである。ちょっと冒険して派手なドレスを買ったら親に叱責されたし、男と羽目を外したら妊娠したうえ裏切られた。まるで冒険したことへの罰のように悪い方に追い詰められる。彼女の人生は最初から詰んでいた。そして、普段寡黙なイリスが手紙だと饒舌なのは特筆に値する。日常では自分を抑える必要があるが、文字の世界では自分を解放できるのだ。内面の迸りは手紙から十分読み取れる。彼女には自我があり、欲望もあった。だから静かな暴発にも説得力がある。

本作のユーモアもなかなか奇妙で人を食っている。たとえば、イリスが両親から貰った誕生日プレゼント。それが『海賊物語』という古本なのである。どうせなら新品を贈ってやれよと思うが、それ以前に『海賊物語』なんて妙齢女子にあげる代物ではない。明らかに小学生向けだろう。両親はそれを何の疑問なくプレゼントしている。頭がおかしいとしか思えない。そして、髭面の男がイリスの家に来たときも奇妙だ。両親が応接するのだけど、何を喋っていいのか分からない微妙な間合いを保っている。しかも、みんな別段気まずそうではなく、そうすることがあたかも自然という態度なのだ。歓迎してるわけでも忌避してるわけでもなく、見ず知らずの他人が不可避的に居合わせたような態度。こういう訳分からない状況を大真面目に描いているところが面白い。

冒頭でマッチの製造過程を映しているが、僕はこれを見て気が滅入った。とても工場では働けないなあ、と。こんな単純作業を毎日していたら気が狂いそうである。