海外文学読書録

書評と感想

マルセル・カルネ『愛人ジュリエット』(1951/仏)

★★★

店の売上金を盗んで収監されたミシェル(ジェラール・フィリップ)は恋人ジュリエット(シュザンヌ・クルーティエ)に会いたがっていた。ミシェルは扉を開けて「記憶のない人々が住む国」に入り込む。そこで思い出に飢えた村人たちがミシェルに群がってきた。一方、森で迷ったジュリエットは貴族(ジャン=ロジェ・コーシモン)に見初められて彼の居城に連れて行かれる。

現実逃避としての夢が描かれていてせつなかった。千葉県にある「夢と魔法の王国」もそういうことだろう。つまり、理想の世界は夢の中にしかないし、自分を傷つけない女も夢の中にしかいない。浮世で生きることの何てつらいことか。ラストでミシェルが下した選択も、あの経緯なら納得できる。

記憶を亡くした村人たちは思い出に飢えている。ミシェルはこの村にやってきたばかりだからまだ記憶が残っていた。彼の思い出を自分のものとして苦痛から逃れたい。大切なのは本物の思い出なのに、村人たちは思い出なら何でもいいという心境になっている。思い出とはアイデンティティに結びついているのであり、思い出がないということはアイデンティティがないということだ。自分は何者だったのか? 欠落が埋められないなら他の良き思い出で代替する。そもそも本物の思い出が本当にいいものだとは限らない。劇中でアコーディオン弾きが、「記憶がないからこそみんな幸福なんだ」と言っている。これは確かに正しい。我々は思い出したくない黒歴史に塗れている。

当初、思い出のあるミシェルは幸福だった。村人たちから羨まれる存在だった。ところが、現実に帰って真実を知ったミシェルは不幸になる。愛する女に裏切られたのだ。こんな思い出なら忘れたいと思うのも当然だろう。彼が「危険」と書かれた扉を開けて夢の中に戻ったとき、脳裏によぎったのは思い出がないゆえに幸福な村人の姿ではなかったか。嫌な思い出を忘れて人生をリセットしたい。ミシェルがあの後、村人に溶け込む様子が容易に想像できる。彼はきっと他人の思い出を貪り食う幸福な餓鬼になっているだろう。だからこそあのラストはせつない。

夢の中で邂逅を果たしたミシェルとジュリエットだったが、ミシェルがその場を離れた途端、ジュリエットは彼のことを忘れてしまう。たった今作られた思い出すらなかったことにされてしまう。この場面では、忘れてしまう者の悲しみと忘れられてしまう者の悲しみが交差している。結局のところ、良き思い出は覚えていたいし、悪い思い出は忘れていたいのだ。ただ、悲しいことに人生はそう上手くいかない。人は得てして悪い思い出ほどよく覚えている。我々が現実逃避するのは悪い思い出を忘れたいとき。クソったれな現実こそが夢への扉を開く。

印象に残ってるのが序盤。扉を開けたら遠くに建物が見えてミシェルはスキップして向かっていく。その様子を後ろから捉えたショットが良かった。これから物語が始まるのだというわくわく感がある。