海外文学読書録

書評と感想

アントワーヌ・ローラン『青いパステル画の男』(2007)

★★★

パリの弁護士ショーモンは骨董品のコレクターだった。ところが、妻は彼の趣味を理解してくれない。ある日、ショーモンはオークションハウスで見かけた18世紀の肖像画に惹かれる。その肖像画は自分にそっくりだった。高値で落札したショーモンだったが、そのせいで妻との仲が険悪になる。一方、肖像画のモデルが気になるショーモンは紋章を手掛かりに身元を探っていく。

「もし君が本物のコレクターになりたいなら、知っておかなきゃいけないことがある。オブジェ、本物のオブジェは」伯父さんはそう言うと人差し指を空中に立てて続けた。「持っていた人の記憶を抱えているということ」

私はこの厳粛な言葉に驚き、身をすくめ、そして今度は私が彼を見つめた。

「わかるかい」エドガー伯父さんは続けた。

私は頷いた。

「何をわかったんだろう?」彼は私の背に合わせようと膝を曲げ、微笑んだ。

「古いものには……」私は小声で言った。

「続けて、坊や……古いものには……」

「魂があるということ」私は伯父さんの青い目から視線を逸らさずにすかさず応えた。(p.21)

クソったれな現実から逃避し、中年の危機を乗り越える。途中から虚実が曖昧になっていて刺激的だった。これぞ一人称小説の醍醐味だろう。

ショーモンにとってのコレクションは満たされない現実の代償行為だ。彼は9歳のときに飼い犬を亡くすのだけど、その際、両親が同じ犬種の犬を新たに連れてきたことに不満を抱き、お詫びとして消しゴムを買ってもらうことでコレクションに目覚める。しかも、ただ集めるだけでなく、売買することで利益も得ていた。大学時代はその利益で娼婦と寝ている。ここでモノと女性の交換が示されるのが興味深い。というのも、中年の危機を迎えた現在では愛していた妻に欲情できてないから。その原因となったのが彼が集めているモノ。妻にとっては無駄金を使うのが許せないし、場所を占有するのも許せない。モノのせいで夫婦関係がぎくしゃくしている。結婚した今となってはモノと女性の交換が成立しないのだった。

絵のモデルを突き止めたショーモンはリヴァイユ村に行き、そこで地元民から伯爵扱いされる。本物の伯爵はパリに旅立って以来、音信不通だった。伯爵には妻メレーヌもおり、ショーモンは彼女といい関係になる。ショーモンは伯爵として生きていくことを決意した。この辺は明らかにリアリズムの枠を飛び越えていて、クソったれな現実を捨てて理想の現実を手に入れるところは、まるで異世界転生もののようである。つまり、ここではないどこかに快適な居場所がある。そういった幻想が形象化されているのだ。ショーモンが本当に伯爵に似てるかどうかは問題ではない。地元民が受け入れてくれればどうだっていいのである。重要なのはアイデンティティが変更できること。この飛躍は刺激的だった。

とはいえ、やはり幻想は幻想に過ぎないのが悲しい。モノを通じて理想の女性を手に入れたと思ったら、そうは問屋が卸さなかった。モノには魂が宿っており、その魂がショーモンの虚実を曖昧にする。結局のところ、一人称の語りは信用できないのだ。ショーモンは本当に幸福なのか? どうにも煮え切られない後味の悪さを感じながらページを閉じた。