海外文学読書録

書評と感想

フー・ボー『象は静かに座っている』(2018/中国)

★★★★

満州里のサーカスには一日中座っているだけの象がいるという。中国の寂れた田舎町。高校生のブー(ポン・ユーチャン)は友達を庇って不良を階段から突き落としてしまった。不良の兄チェン(チャン・ユー)がブーの行方を追う。一方、ブーの女友達ファン(ワン・ユーウェン)は学校の副主任と不倫しており、ブーの隣人ワン(リー・ツォンシー)は家族に疎まれ老人ホームに送られようとしていた。

作中に漂う閉塞感も去ることながら、撮影手法に特徴があって見応えがあった。

とにかく長回しが多い。なるべくワンシーンをワンカットで撮ってやろうという意欲が窺える。その際、人物の背中をやたらと映していて、背中こそがショットの基本だと言いたげな雰囲気である。歩いてる人物の背中をカメラが追う。そのまま対面に別の人物を配置することもあれば、そこからカメラが回り込んで正面を映すこともある。行動の始点としての背中。この背中への拘りは何なのだろう、と不思議に思った。

ぼかしの使い方も特徴的だ。手前の人物に焦点を絞って背景をぼかす。そのぼかした背景に人物を配置し、色々な動きをさせている。しかも、その動きが劇としてけっこう重要だったりするから侮れない。結果として観客は、手前の人物のみならず、奥のぼかした背景も注視することになる。本作ではこの手法も多用していて、ここまで来ると拘りというよりは手癖ではないかと訝った。

ストーリーはシンプルなのに上映時間は4時間弱である。これはふんだんに間をとっているからで、時間の使い方としてはすこぶる贅沢だった。たとえば、煙草を吸っているとか、無言で歩いているとか。この間があるからこそ観客は没入できるし、画面の動きを見逃さないよう目を凝らすのである。決して展開を急がない。エンタメ映画とは正反対の思想で作られていて満足度が高かった。

本作に出てくるのは、寂れた田舎町にふさわしい行き詰まった人たちだ。このまま生きていても人生に展望が開けない。それどころか、現在進行形で生活が圧迫されている。ブーとファンとワンは居場所がないし、チェンも社会のはみ出しものである。この閉塞感は並大抵ではない。そして、そんな現実の先にあるのが満州里にいる象だ。この象は一日中座っているだけだという。しかし、それが超越的な存在として彼らに希望をもたらしている。象を見に行くことが一筋の光明になっていた。人生とは惨めなものではあるが、よりよい場所が向う側にある。行かないで踏ん張るよりは、行って何かを見つけたほうがいい。そういった慰めを象徴として用意しているところが良かった。

それにしても、中国人ってモラハラ気質というか、切りつけるような物言いで相手を屈服させようとするから恐ろしい。相手が知らない人でもお構いなしである。この国民性は本作だけでなく、莫言を始めとした文学作品にも刻印されている。タフじゃないと中国では生きられないと実感した。