海外文学読書録

書評と感想

アントワーヌ・ローラン『ミッテランの帽子』(2012)

★★★

80年代のパリ。会計士のダニエルがブラッスリーで食事をしていると、隣のテーブルにミッテラン大統領の一行が座った。ミッテランは帰る際、店に帽子を忘れる。ダニエルはそれを盗むことに。やがてミッテランの帽子はダニエルの人生を変える。その後、帽子の持ち主は転々とし……。

帽子だ。ダニエルの生活を激変させた一連の出来事の中心にはこの帽子があった。ダニエルは確信していた。帽子をかぶるようになってからというもの、それは存在するだけで、日常の心配ごとから解放された。帽子はダニエルの精神を研ぎ澄まし、重要な決断をするよう促した。もし帽子がなかったら、ダニエルは例のあの会議でマルタールに思い切って話すことも、高層タワービルの十九階でデモワンヌと半熟卵を食べることもなかっただろう。彼はうっすらと大統領の何かを感じていた。ナノ粒子ほどの極小の目に見えない何かが非物質的な形で残っていて、その何かが運命の息吹をもたらしたのだ。(p.34)

ミッテランの帽子によってエンパワーメントされた人たちの物語である。作中に「大統領の到来は聖書に書かれた出来事のようだった」とある通り、ミッテランキリスト教の聖人、彼の帽子は聖遺物を模しているのだろう。本作はミッテラン大統領への崇拝が半端なくて、彼と遭遇したダニエルの喜びはまるで大統領ではなく預言者に会ったかのようだ。実際、ミッテランの帽子を聖遺物と位置づけるなら、その解釈もあながち間違いではないだろう。当のミッテラン社会主義者だけど、そこにキリスト教の寓意を取り入れたところが本作の面白味に繋がっている。

フランスにおけるミッテランの人気は高いようで、戦後の大統領の中ではド・ゴールに次いで2位らしい(2005年に行われたカンターTNSによる電話調査)。ミッテランは1981年から1995年まで、2期14年の間大統領を務めた。大統領に会ったダニエルのミーハーな反応は、その人気の反映とも言える。たとえば、日本人が寿司屋で現職の総理大臣と遭遇したよう。その際、ここまで喜びを表明できるかは疑問だ。せいぜい芸能人に会ったレベルの驚きしかないのではないか。とはいえ、そういった人物が身につけている物に何か宿っていると考えるのは極めて自然で、有名人には聖人のようなオーラがまとわりついている。何者でもない庶民はそれに圧倒され、また、あやかりたいと思うのも自然だ。そう考えると、キリスト教の聖遺物もミーハーな心が生んだ虚像と言えるだろう。物はあくまで物でしかないのだから。我々は相手が聖人だから崇拝するのではない。有名人だから崇拝するのであり、有名人の持ち物だから聖性を帯びるのである。

聖別されたミッテランの帽子は4人の男女の人生を変える。人生の隘路に入った者たちにささやかな力で確実に後押しをする。「頭の上に帽子を乗せることで人は/それを持たない人たちに/疑う余地のない威厳を誇示できるのだ」(by トリスタン・ベルナール)。4人が与えられたのは大統領の威厳であり、それによって重大な決断を下すことができた。有名人には成功者ならではの力がある。その持ち物には力の一部が宿っている。僕もあやかりたいものである。

ところで、ダニエルがブラッスリーで注文したロイヤルシーフードプレートがとても美味そうだ。ブルターニュ産の養殖マガキとヒラガキ、イチョウガニのハーフ、ハマグリ、クルマエビ、ラングスティーヌ、つぶ貝、小エビ、アサリ、アマンド貝、タニシ。それに対し、ミッテランは牡蠣12個とサーモンを注文している。フランス人の貝好きは異常かもしれない。