海外文学読書録

書評と感想

マイケル・ムーア『シッコ』(2007/米)

★★★

西側諸国で唯一、国民皆保険制度がないアメリカでは約5000万人が医療保険に未加入だった。一方、加入者でも満足に保険が適用されるわけではなく、保険会社はあれこれ理由をつけて支払いを拒否している。アメリカでは保険会社と医療業界が癒着しており……。

アメリカの弱点を的確に突いているところが良かった。確かに世界一の超大国国民皆保険制度がないのも変な話で、経済的に成功してるのだったら予算を社会保障に回してもバチは当たらないと思う。そもそも国民が国家に望んでいることって安心と安全の提供ではないか。病気になっても経済的な理由で医療が受けられないのだったら、毎日が不安で仕方がないだろう。病気や怪我なんて不意に襲ってくるものだし、人間である以上は誰だって転落するリスクを負っている。そういった不安をカバーする制度、すなわちセーフティネットを構築することは国家として極めて自然だ。ただその一方、アメリカが繁栄したのは弱者を切り捨てたからとも言えるわけで、新自由主義の教義である「自己責任」が幅を利かせるのも無理はない。適者生存。弱肉強食。みんなプライドがあるから自分のことを弱者と認めたくない。だから弱者であるにもかかわらず、強者に有利な社会制度を支持している。

思えば、日本のゼロ年代がまさにそうだった。ロスジェネは「自己責任」を内面化し、新自由主義の奴隷になっていた。資本家にとって労働者は困窮しているほうが都合がいい。手荒く扱っても簡単に辞めないし、辞めたとしてもすぐに補充できるから。労働者から選択肢を奪うことで搾取が捗るのである。そして、アメリカの医療保険制度もその枠組みで捉えることができる。労働者に安心を与えると彼らは増長してしまう。いつでも辞められるから、と要求が大きくなる。だったら不安定な状態において馬車馬のように働かせたほうがいい。極限まで搾り取って使えなくなったらポイ捨てするのだ。このように日本人もアメリカ人も資本家の思惑にまんまと乗せられている。

劇中でマイケル・ムーアが9.11のボランティアをボートに乗せてグアンタナモ収容所に向かう。ボランティアは瓦礫の撤去作業によって肺を病んだものの、満足な治療を受けられなかった。国は治療費を全額出すと約束したのに、厳しい条件をつけて出し渋ったのである。それに対し、グアンタナモ収容所では囚人に無料で医療を提供している。ボランティアは囚人よりも待遇が下だった。こういったアイロニーを独特の茶番で表現するところが光っていて、ドキュメンタリーとは俗情との結託によって成り立っていることが窺える。

アメリカは西側諸国の盟主であるものの、社会制度は極めて異色だった。マイケル・ムーア『ボウリング・フォー・コロンバイン』銃社会を、本作で医療保険制度を題材にしていて着眼点が鋭いと思う。どちらもアメリカならではの問題だから。日本人としては、西側の代表がこれでいいのかという疑問がある。