海外文学読書録

書評と感想

トーマス・マン『ヴェネツィアに死す』(1912)

★★★★

50歳の作家グスタフ・アッシェンバッハはミュンヘンに在住していた。ある日、彼は逃げ出したいという衝動に駆られて旅に出る。ヴェネツィアに辿り着いたアッシェンバッハは、ホテルで上流階級のポーランド人一家を目撃する。その中に14歳くらいの美少年がいた。アッシェンバッハは彼の美しさに衝撃を受け、遂にはストーキングするにまで至る。

恋する者の例に漏れず、彼は相手に気に入られたいと願った。そしてそれが不可能かも知れないという苦い不安を感じた。彼は自分の服に気分を若返らせてくれる小物を付け加えた。宝石を身につけ、香水を使った。昼間はたびたび身繕いにたくさんの時間を費やし、おしゃれをして、高揚し、緊張してテーブルに着いた。自分を魅了した甘やかな若さを前にすると、自分の老いてゆく体に吐き気を催した。灰色の髪や尖った顔立ちを見ると、恥ずかしさと絶望に突き落とされた。体を蘇らせたい、昔の自分を回復したいという衝動に突き動かされた。彼はたびたび、ホテルの理髪師を訪ねた。(p.97)

同性愛を題材にした小説であると同時に、エロスとタナトスの接近によって美を永遠にしようという小説でもある。

同性愛についてはアッシェンバッハが旅行に出る前に伏線がある。というのも、作家の彼が作中人物として繰り返し描いたタイプの英雄が聖セバスティアンのような人物だった。地の文で、「そして聖セバスティアンの姿が、芸術一般の、とは言わないまでも、間違いなくいま問題としている芸術のもっとも美しい象徴である」と説明されている。言うまでもなく、聖セバスティアンは芸術でよくモチーフにされるゲイ・アイコンだ。オスカー・ワイルドテネシー・ウィリアムズ三島由紀夫などが作品に取り入れてる。3人が男色を好んだことは周知の事実だろう。序盤からアッシェンバッハにはゲイの資質があると示唆されている。

アッシェンバッハは少年の神々しいばかりの美しさに驚き、愕然となる。少年は14歳くらい。名前はタッジオで、古代ギリシャの彫刻みたいな造形美だ。アッシェンバッハは美だけが愛に値すると確信し、少年のストーキングを始める。そして、最終的には少年への愛、すなわちエロスの虜になってしまう。

ところが、エロスに近づくということは必然的にタナトスに近づくということでもある。そのタナトスの象徴がコレラだ。コレラとはインドからヨーロッパに進入してきた強大な暴力であり、植民地から宗主国に復讐しに来た死神である。アッシェンバッハはコレラに罹患してあっさり死んでしまうのだった。アッシェンバッハは死の間際まで少年を視界に入れている。海辺で戯れる少年を椅子に座って眺めながら死んでいる。アッシェンバッハは死ぬことで少年の美を永遠のものとした。美を体現する側ではなく、美を鑑賞する側が死ぬところが本作のポイントで、永遠の美とはすなわちその繰り返しによって保たれてきたのだろう。モナ・リザの絵画は滅びない。しかし、それを鑑賞する人間は滅びる。ここに芸術の本質が見て取れよう。

本作はプラトンからの引用が多くてだいぶ辟易したものの、同性愛に対してエロスとタナトスという普遍的な構造を用いたところは注目に値する。