海外文学読書録

書評と感想

エリック・ロメール『緑の光線』(1986/仏)

緑の光線

緑の光線

  • マリー・リヴィエール
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★★★★

パリ。秘書のデルフィーヌ(マリー・リヴィエール)はバカンスを楽しむことにしていた。ところが、ギリシア旅行を約束していた友人から断りの電話を入れられる。デルフィーヌは恋人と別れたばかりで孤独だった。結局は別の友達に誘われてシェルブールへ行くも、彼女の孤独が埋まることはない。やがてデルフィーヌは「緑の光線」の話を聞くことに。

面倒臭い女を主人公にした自分探し映画だった。そもそもデルフィーヌ以外の登場人物もだいたい面倒臭くて、その切りつけるようなコミュニケーションが見る者を圧倒する。率直に言って、フランス人は遠慮がなさすぎると思う。他人の心に土足で踏み込みすぎ。こんな環境にいたら人間嫌いになるのではないかと心配になった。

本作で描かれているのはインターネット以前の世界で、現代人が共感するのは難しい。というのも、現代人はスマホによって日常的に他者と繋がっているため、孤独な時間を切実に必要としているからだ。おまけにVODの浸透によって日々コンテンツに追われている。友達と外で遊ぶ時間なんてそうそう作れない。一方、80年代は暇潰しの手段が極端に少なかった。みんなとにかく暇を持て余していた。そういう人たちにとって孤独とは地獄の苦しみなのだろう。人間関係しか娯楽がなかった時代。そういう時代における生き方、あるいは時間の過ごし方は一面的で、恋人を作ってゆくゆくは結婚というロールモデルには説得力がある。確かにお一人様ではやっていけない。

そして、ミシェル・ウエルベックが出てきた土壌もこの辺にあるのではないか。フランス人は何よりも孤独を恐れていて、他者とのコミュニケーション、とりわけ異性との性愛を求めている。パートナーのいない自分に価値を置いていない。そこは古くから愛を探求してきた民族だけあって、我々には計り知れないところがある。

デルフィーヌのいいところは異性との関係を一時的なものではなく、永続的なものとして望んでいるところだ。彼女は色々と面倒な女だけど、この点だけは評価できる。理想の人と出会うまで一人でいようと決めていたなんてロマンティックではないか。だからこそ終盤でいい感じの男と肩を並べ、緑の光線を目の当たりにするラストが映えている。結局のところ、自分探しの旅もロマンティック・ラブに回収されてめでたしめでたしというわけだ。台無しにした休暇の代償としては上々で、終わってみれば後味のいい映画に仕上がっている。

パリに帰ったデルフィーヌがタンクトップ男に付け狙われるシークエンス。短いながらも緊張感があってインパクト大だった。このタンクトップ男、あっさり切り捨てたのがもったいないくらいキャラが立っている。このシークエンスはどういう意図で入れたのかよく分からない。しかし、それゆえに観終わった後もずっと気になっている。