海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・バーナード・ショー『ピグマリオン』(1912)

★★★★★

ロンドン。下町の花売り娘イライザは酷いコックニー訛りで話していた。彼女はひょんなことから音声学者ヒギンズと出会う。イライザはヒギンズのところに住み込みで話し方を教わることになった。一方、ヒギンズは友人のピカリングと共謀し、ドブ板娘のイライザを公爵夫人に仕立ててやろうと目論む。

本当の意味でレディと花売り娘の違いは、どう振る舞うかではなく、どう扱われるかにあるのです。(Kindleの位置No.2394-2395)

戯曲。全五幕。

ピュグマリオーンの伝説を捻っていて面白かった。本書には長々と後日譚がついているけれど、結局はそこのラストに尽きるのだろう。つまり、「彫像のガラテアがみずからの創造主であるピグマリオンを本当に好きになることは決してない」のだ。思えば、フランケンシュタインも自ら創造した怪物に大切なものを奪われた。また、旧約聖書Amazon】の神も自ら創造したアダムとイブを楽園から追放した。このように創造主と造形物は本来ぎくしゃくした関係になるものなのだ。生命を作ったら最後、物語は決してハッピーエンドにはならない。

ヒギンズの性格が特徴的で、彼は毒舌家であるだけでなく、マザコンミソジニーを拗らせている。

ヒギンズ (独断的に、両手で身体をピアノの高さまで押し上げて、ピアノの上にバランスをとって座りながら)ま、わたしはそんな男には会ったことがないが。だいたい女ってもんは、親しくなると途端に嫉妬深く、口やかましく、疑り深くなって、どうにも手に負えなくなる。だからこっちは、親しくなった途端に、わがままな暴君になるしかない。女は何もかもひっくり返してしまう。女が生活の中に入ってくると、こっちがやろうとしていることと全く別のことをやろうとする。(Kindleの位置No.895-899)

ヒギンズの好みは45歳以上の熟女だ。彼は母親に向かって、「僕が好ましいと思える女性は、お母さんみたいな人だから」と宣言している。思うに、マザコンミソジニーは分かちがたく結びついた概念なのだろう。母親を至上の女性とするならば、それ以外の女性を蔑視するのは自明だし、また、母親を憎んでいるのであれば、それ以外の女性を憎むのも自明である。息子にとって母親は人格形成に大きな影響を与える存在だ。その距離感が適切でないと大人になってからミソジニーを拗らせることになる。母親のことを理想化しても駄目だし、逆に悪魔化しても駄目。親としてほどほどの評価をするに留める。そう考えると、我々の女性観は危ういバランスの上に成り立っていると言える。

ヒギンズの毒舌ぶりも見逃せない。たとえば、「ひとつこの薄汚いドブ板娘を公爵夫人に仕立ててやろう」とか、「こういう階級の女は結婚して一年もすれば、どうみても五十は下らないくらいに老けこむんだ」とか、思ったことをストレートに垂れ流している。彼のこういった差別発言の源泉には、ミソジニーだけでなく階級意識も含まれており、中産階級の傲慢さが顕になった格好だ。つまり、ヒギンズは女性を見下しているのと同時に、下層階級も見下しているのである。本作はヒギンズをこういった造形にしたことが、結果的に中産階級へのアイロニーになっていて面白い。

ところで、花売り娘だった頃のイライザは訛りが酷いだけでなく、下記のように意味不明なうめき声をあげている。

花売り娘 (半クラウン銀貨を拾い上げて)うぇぇぇ! (フロリン銀貨を二枚ほど拾い上げて)うぇぇぇええ!(さらに硬貨を何枚か拾い上げて)ぅぅぅうううぇぇぇええ!(半ソヴリン金貨を拾い上げて)ぅぅぅうううぇぇぇええええ!!!(Kindleの位置No.434-437)

これを舞台で演じる役者は大変ではなかろうか。