海外文学読書録

書評と感想

アニエス・ヴァルダ『5時から7時までのクレオ』(1961/仏=伊)

5時から7時までのクレオ

5時から7時までのクレオ

  • コリーヌ・マルシャン
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★★★★

パリ。シャンソン歌手のクレオ(コリーヌ・マルシャン)は、今日の午後7時に病院に行って診断結果を聞く予定になっていた。現在の時刻は午後5時。占い師によると、クレオは癌に罹っているという。恐怖と不安に駆られたクレオは、2時間の間パリを彷徨う。

分刻みのスケジュールを追った実験映画だが、今見るとそんな実験的に見えない。カメラはもっぱらクレオに焦点を当てており、彼女の動きに合わせて風景が移ろっていく。結果としてパリの町並みが魅力的に映されていた。

クレオは2時間の間に色々な場所を訪れていて、この時間の潰し方は都会人っぽいと思った。病院までの待ち時間、自分だったらこんなに移動しない。自宅でテレビでも見ながらくつろいでいるだろう。とはいえ、動かなかったら映画にならないわけで、クレオは歩いたりタクシーに乗ったり忙しなく移動する。本作は時間潰しの映画であると同時に、移動の映画でもあるわけだ。面白いのは移動そのものが絵になっているところで、たとえば、タクシーの後部座席からフロンドガラス越しに風景を映していくシーンなんかため息が出る。移動がシーンとシーンの繋ぎではなく、それ自体が目を釘づけにするシーンになっているのだ。固定された場所で何かやるのも面白ければ、移動して風景を映しているだけでも面白い。こういう映画はなかなかないと思う。

クレオの診断結果はどうなるのか。本作は宙吊り状態を軸にしていてかすかな緊張感が漂っている。クレオは冒頭で占い師に癌と宣告され、それが迷信家である彼女に不吉な予感を与えていた。不安と恐怖が蜘蛛の巣のようにつきまといながらも、クレオは様々な場所に赴き、様々な人たちと会話する。そして、その合間には名も知れぬ群衆がいて、彼らもめいめいお喋りしている。有名なシャンソン歌手も都会ではワンオブゼムなのだ。しかし、洗練された容姿の彼女はすれ違う人々から視線を投げかけられている。「見られる」存在としての女性性が強調されている。なぜこんなに見られるのかといったら、クレオを知っている人にとっては彼女が有名人だからだし、知らない人にとっては彼女が美しい女性だからで、どちらにせよ「見られる」宿命にあるのだ。群衆にあって群衆に溶け込めない。こういう視線の暴力性を捉えているところが本作の面白いところだろう。

見知らぬ軍人との出会いで慰めを得たクレオは、最終的に恐怖を克服する。宙吊り状態が解消されることで腹をくくる。状況は厳しいものの、映画としては後味のいいラストだった。