海外文学読書録

書評と感想

今千秋『ひぐらしのなく頃に』(2006)、今千秋『ひぐらしのなく頃に解』(2007)

★★★

昭和58年。雛見沢村では毎年綿流しの祭りの時期に未解決の怪死事件が起きていた。そんななか、前原圭一(保志総一朗)、竜宮レナ(中原麻衣)、園崎魅音(雪野五月)、北条沙都子(かないみか)、古手梨花(田村ゆかり)ら分校のメンバーは、部活と称して様々な遊びをしている。やがて綿流しの日がやってきて……。

原作はPC向けに発売された同名ゲーム。

全体の構想は『進撃の巨人』に匹敵するくらい素晴らしく、欠点にさえ目を瞑ればゼロ年代の頂点に君臨するアニメだ。運命をいかにして打ち破るかというテーマには感動したし、エロゲ的なループ手法と少年漫画的なマインドが合体して胸躍るエンターテイメントになっている。

とはいえ、後半はあまりに冗長で辟易したし、最後の「祭囃し編」に至っては物語の畳み方が下手でしんどかった。仲間を信頼し、仲間に悩みを打ち明け、みんなが一丸となって運命に対峙する。そういうコンセプトが終盤のかったるい展開で打ち消されてしまった。前半2クール(無印)は文句なしの傑作だったが、後半2クール(解)はそもそも24話も必要なく、18話くらいで収まる内容だったと思う。はっきり言って引き伸ばしすぎだ。この辺、商業アニメゆえの不自由さが表れている。

運命とは人の意志である、という着眼点は目から鱗が落ちるほどだった。ラスボスには雛見沢を壊滅させるほどの強烈な意志がある。打ち破るほうとしては生半可な意志では対抗できない。登場人物がそのことを悟るプロセスがよく出来ていて、やはり全体の構想は神がかっている。百歩譲って冗長なのは仕方がないにしても、「祭囃し編」の無理やりな展開は改善の余地があるので、ホント惜しいことをしたと思う。

ループすることで登場人物を徹底的にしゃぶり尽くしているところがいい。みんなそれぞれ多面的な顔を持っていて、表には出さない問題を抱えている。そして、その問題がこじれて惨劇へと繋がっていく。基本的には惨劇の日を何度も繰り返す構成だが、それが一向に退屈しないのは登場人物の関係を複雑に組み替えているからだ。何をやってもコンフリクトが起こり、最終的には行き詰まってしまう。バッドエンドを回収しつつハッピーエンドを目指す構成はまさにエロゲで、ゼロ年代はエロゲの時代だったのだと痛感する。

悲劇の前景にある日常は徹頭徹尾茶番である。みんな何かしらの闇を抱えているのに敢えてごっこ遊びをしているのだ。そこがどうにも不気味である。ゼロ年代は茶番の楽しさを知らしめた時代であったが、同時にその空虚さも表現していた。なのにテン年代に入ると後者が捨象され、そのポジティブな面だけが消費されていく。エンターテイメントとしては正しい進化を遂げたのだろう。しかし、それはそれで物足りない。たまには不気味な面も覗いてみたいと思う。人間には死の欲動があるのだから。