海外文学読書録

書評と感想

エミール・ゾラ『ナナ』(1880)

★★★★

第二帝政期のパリ。猥褻な格好で舞台に上がった新人女優のナナが、観客から拍手喝采を浴びて評判になる。ナナは高級娼婦としてミュファ伯爵を虜にする一方、同年代のジョルジュと恋愛したり、男優のフォンタンと同棲したり、気ままな生活を送るのだった。ナナは悪女的魅力で上流階級の男たちを破滅させていく。

――おかしいわね。お金持ちって、お金さえ出せばなんでも手に入れられると思ってるのね……ところで、あたしがいやだと言えば、どうなの? ……あんたの贈り物なんか、なにさ。パリをくれると言ったって、答えはノンよ。……あくまでノンよ。……ごらんの通り、この部屋はむさ苦しいけど、ここであんたと暮らしてもいいって気になったら、きっと乙だと思うわ。反対に、気が向かなけりゃ、宮殿に住んだってくさくさするでしょうよ。ああ! お金なんて、どこでも見つけてくるわ! そんなもの、ふんづけて、つばを吐きかけてやるわ!(pp.300-301)

新潮社の世界文学全集(川口篤・古賀照一訳)で読んだ。引用もそこから。

劇場型の人生を描いた壮絶な話だった。性的魅力を備えたナナは、奔放な振る舞いによって男たちを次々と破滅させていく。全体としては熱に浮かされたようなカーニバル的な小説で、冒頭の舞台劇から終盤のSMプレイ(?)まで見所が多かった。

劇場が庶民と上流階級の接点になっているところが面白い。一座を率いるボルドナヴが自分の劇団を「淫売屋」と呼んでいたけれど、実際、ここに所属している女優たちは上流階級の知遇を得て愛人になっている。新人女優のナナもほとんど性的魅力で役を勝ち取ったようなもので、歌も演技も上手くこなせない。にもかかわらず、舞台に立ったら観客から拍手喝采を浴びたのだった。有り体に言えば、セックスシンボルとして評価されたのだ。これはハリウッドでたとえたらマリリン・モンローみたいなもので、いつの時代も人気商売は同じメカニズムで成り立っているものだと感心する。

ナナは悪女ではあるものの、悪意をもって人を陥れているのではなく、彼女自身は情に厚い一面も持っている。ただ自由に振る舞っているだけだ。周囲の男たちがそれに翻弄されて身持ちを崩し、破産したり自殺したりしている。そう考えると、悪いのは肉欲に溺れた男たちで、悪女に仕立て上げられたナナはむしろ被害者なのではないか。キリスト教の価値観だと女性の性的魅力は罪になるのだろうけど、さすがに近代社会でそんなだるいことは言ってられない。ナナの持つポジティブなエネルギーが周囲を熱狂させ、さらにその熱狂がナナの放蕩生活を加速させていく。フィルム・ノワールに出てくる悪女とはまた一味違った天然さが愛おしい。

競馬のエピソードは冒頭に負けず劣らずの狂騒ぶりで読み応えがあった。ここではナナと同名のフランス馬が出走し、本命のイギリス馬とデッドヒートを繰り広げている。庶民も上流階級もみな大騒ぎだ。当然、ナナたちはフランス馬を応援している。スポーツに愛国心を託すのはこの時代から一般的だったようで、勝利の際の浮かれ騒ぎはまるでサッカー・ワールドカップだった。そしてこういったハレの舞台があるからこそ、後に続く馬主の悲劇が引き立つのである。ヴァンドゥーヴルの焼身自殺は強烈なインパクトだった。

浪費の限りを尽くす終盤も壮絶である。たとえば、ナナがフィリップから貰った骨董品を誤って壊した際、彼女は悪びれもせず大笑いする。形ある物は必ず壊れる。その事実がツボにはまったのだ。その後、フィリップを慰めるためにナナは部屋の調度品を壊して回る。この場面はナナの破滅願望が表に漏れ出しているような趣さえあって、その狂気は並々ならぬ迫力があった。

ナナがやったことは結果的に庶民による上流階級への復讐になった。ナナ自身も最後は病死したものの、その過程でたくさんの金持ちを道連れにしたのである。一個人による貴族制度への反逆。これはこれで溜飲を下げる結末なのかもしれない。