海外文学読書録

書評と感想

是枝裕和『そして父になる』(2013/日)

★★★

建築家の野々宮良多(福山雅治)と妻のみどり(尾野真千子)には6歳の息子・慶多(二宮慶多)がおり、3人でタワマン暮らしをしていた。そんなある日、病院から連絡が来て、慶多の出産時に新生児の取り違えが起きていたことを知らされる。DNA鑑定の結果、慶多は実の子供ではなかった。実の子供は群馬で小さな電気店を営む斎木雄大リリー・フランキー)とその妻・ゆかり(真木よう子)の元におり、琉晴(黄升炫)と名付けられて元気に育っている。良多は両方の子供を引き取りたいと申し出るが……。

どちらかというと一番理不尽なのは取り違えられた子供なので、映画も父親ではなく子供に焦点を当てるべきだったのだろうけど、しかし映画はPCである必要はないので、父親の成長物語になっているのも仕方がないのだろう。惜しむらくは、題材があまり魅力的ではないところだ。血の繋がりか、過ごした時間か、なんて問題提起は最初から答えが決まっている。だから良多が血の繋がりを重視して子供を交換するのも不自然(斎木夫妻がそれを受け入れたのも同様)で、どう考えても上手くいくわけないだろと白けてしまう。

エリートサラリーマンの良多が優生思想の持ち主であるところが面白い。慶多に不満があるからこそ相手方と子供を交換するところは血も涙もなくて良かった。自分の血筋ならきっと優秀だろうという期待を抱いている。ちぐはぐな状況をさらにちぐはぐにしているのがこの優生思想で、6年間育てた子供を躊躇いもなく他所に差し出すところはまるでサイコパスだった。本作をスリリングにしているのはこうした良多の歪みであり、精神科に掛ったらおそらく何らかの診断が下るだろう。今の時代に彼のような冷血なエリートを造形した点は評価できる。

野々宮良多と斎木雄大は対照的な境遇で、前者が港区的人物、後者が足立区的人物に分類できる。もちろん、人間として魅力的なのは後者だ。雄大は貧しいとはいえとても気さくで、子供と一緒に馬鹿なことができる。のみならず、慰謝料を欲しがるしたたかな一面も持っている。野々宮家に比べると斎木家はアットホームだ。自分が6歳の子供だったら後者の家庭で育ててもらいたいと願うだろう(とはいえ、金がないから大学進学のときに詰む)。そういう意味でこの配役はずるいと思う。冷血なエリートに対する血の通った庶民。リリー・フランキーは毎度のことながらおいしい役を持っていきすぎである。

劇中で良多が人工林を散策するシーンがある。生態系の研究のために人工的な林を作るように、映画も人間観察のために人工的な状況を作るのだろう。是枝裕和は映画を通じて思考実験がしたかったのかもしれない。