海外文学読書録

書評と感想

レオ・マッケリー『我が道を往く』(1944/米)

★★★

ニューヨークの古い教会に若き神父オマリー(ビング・クロスビー)が赴任してくる。その教会は老神父フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド)が建設に尽力し、以降45年間守ってきた。教会はいま財政難にある。オマリーは不良少年たちを集めて聖歌隊を結成し、さらにオペラ歌手リンデン(リーゼ・スティーヴンス)の協力を得てマネタイズする。

ビング・クロスビーがこんなにいい俳優だったと思わなかった。というのも、『スイング・ホテル』を観たときはいまいちぴんと来なかったのだ。共演したフレッド・アステアに食われたなあ、と。それが本作では、持ち前の歌唱力を武器にヒューマニズム溢れる役を好演していて、フランク・シナトラに匹敵するエンターテイナーだと認識を改めた。制作事情は知らないけれど、これはビング・クロスビーありきの企画と思えるほど。それくらいはまり役だった。

物語はオマリーとフィッツギボンという世代を超えた人間関係を軸としていて、最初はオマリーを煙たがっていたフィッツギボンが、最終的には彼を認めるところに感動がある。こういった心理の変容は、ある程度尺のある映画ならではだろう。世代を超えて分かり合う。言葉にすると簡単だけど、実際はとても難しいことだ。だいたい親子くらい歳が離れていたら、相互理解なんでまず不可能になる。そういった困難はサブプロット、劇中に出てくるある親子のプロットに現れていて、プー太郎になった息子が知らないうちに結婚したうえ、勝手に軍に入隊している(この展開は戦中の映画だからだろうか)。つまり、普通は歳が離れていたらお互いの思惑にズレが生じるのだ。ところが、奔放なオマリーはその奔放さゆえにフィッツギボンの信頼を勝ち取っている。だからこそ最後の別れが名残惜しい。

日曜日に礼拝するのが当たり前という価値観は時代を感じさせて、そこはクラシック映画だなと思う。今どきのニューヨーカーは礼拝なんてしないだろうし。その反面、「音楽は自由」と謳いながら、「Going My Way」という通俗的な曲を歌うところはなかなかパンクだ。聖歌隊を結成するくらいだから、もっと宗教的な曲を歌うものだと思っていた。そこはオマリーが型破りであることの表れなのかもしれない。

教会はフィッツギボンの象徴で、それが焼け落ちたということは彼の人生の終焉を意味している。途中まではそう解釈していたけれど、最後に再建の目途がつくあたりは良心的だった。人生はまだまだ続くというわけ。

総括すると、本作はいい人ばかり出てくるいい映画である。