海外文学読書録

書評と感想

エリフ・シャファク『レイラの最後の10分38秒』(2019)

★★★

1990年のイスタンブル。レイラという娼婦が路地裏のゴミ箱で息絶えていた。ところが、心肺停止から10分38秒もの間、意識だけがはっきりしている。彼女は生い立ちや友人のこと、さらには現在に至る経緯を回想する。

はるか遠く、屋根や円蓋の連なりの向こうには、ガラスのようにちらちら光る海があり、その水中深くのどこか、至るところにレイラがいる――無数の小さなレイラが、魚のひれや海草にしがみつき、二枚貝の貝殻のなかから笑っている。(p.360)

男尊女卑が根強いイスラム社会において、一人の女性がどのように生きたのか。本作では章の区切りに魚マークが使われているのだけど、最後まで読むとその意味が分かるようになっていて、これがなかなか感動的だった。魚マークはレイラが希求するあるものを象徴している。また、改めてカバーイラストを見ると、恐ろしいくらい内容に合致していて感慨深い。こういう仕掛けのある本は驚きがあって好きだ。

娼婦の身の上話なんて大抵は不幸だけど、不幸な話にはそれぞれお国柄があると思う。本作の場合、レイラが育った家庭はめちゃくちゃ保守的で、特に父親はイスラム教の戒律に忠実であろうとしている。彼はレイラについて、将来は全身を覆い隠して家を守る信心深い女に育ってほしいと思っていた。さらに、レイラの家には第一夫人と第二夫人がおり、実の母親が子供を巡って理不尽な目に遭わされている。そしてレイラは6歳のとき、叔父から性的虐待を受けるのだった。おそらくこれが当時のイスラム家庭のスタンダードなのだろう。男尊女卑の宗教に基づく厳格な家父長制。そのせいでレイラと実の母親が割を食っている。

本作は最初の時点で謎が二つある。一つは、レイラがどういう経緯で殺されたのか。もう一つは、レイラがどういう経緯で娼婦になったのか。この二つは話が進んでいくうちに明らかになっていく。ゴミ箱に捨てられた娼婦の遺体には、溢れんばかりの物語が詰まっていた。思うに現代文学の特徴は、こういった市井の人物に焦点を当て、その人生を掘り下げることにあるのだろう。レイラは特に偉業を成し遂げたわけでもない。歴史に名を残すような人物でもない。そこら辺によくいる一般人だ。しかし、そういう人物こそが実は文学の題材にふさわしいのである。司馬遼太郎みたいな英雄史観とは対極にあるところが好ましい。

レイラは随分と不幸な死に方をしたけれど、その人生は孤独ではなく、死後も自分のことを気にかけてくれる友人が5人もいたのは幸いである。それもこれも意を決してイスタンブルに逃げ出した結果なので、人生を切り拓くことは重要なのだ。また、本作は左派のデモや高層ビルの建設など、その時々のイスタンブルの世情が反映されていて、都市をめぐる歴史絵巻のようになっている。オルハン・パムクとはまた一味違った作風だった。