海外文学読書録

書評と感想

エリア・カザン『欲望という名の電車』(1951/米)

★★★★

ニューオーリンズ。「欲望」という名の電車に乗ってブランチ・デュボア(ヴィヴィアン・リー)が下町にやってくる。訳ありの彼女は、妹ステラ(キム・ハンター)とその夫スタンリー(マーロン・ブランド)の家に居候することになった。しかし、ブランチとスタンリーは反りが合わない。やがてブランチはスタンリーの親友ミッチ(カール・マルデン)と恋仲になり……。

原作はテネシー・ウィリアムズの同名戯曲【Amazon】。

俳優の演技が凄まじくて見応えがあったけれど、ストーリーは救いがなくて気が滅入ってしまった。しばらくは暗い映画を観たくない。底抜けに明るい映画を観て気を晴らしたい。そう思うくらい精神的に疲弊する映画だった。

ブランチの役柄は、おそらくこの年齢のヴィヴィアン・リーにしか演じられなかったのだろう。歳をとって容色が衰え、精神に失調をきたした女。そういう意味で、本作は時代と俳優が奇跡的に噛み合っている。舞台劇みたいなオーバーアクションも、この映画の悲劇性を鑑みれば当然の演出と言わざるを得ない。主要人物はみんないい演技をしていたけれど、それでもなおヴィヴィアン・リーだけ頭一つ飛び抜けていた。

裕福な農園主だったブランチは、零落して何もかも失ってしまった。夫は自殺で亡くし、財産は蕩尽し、本人は加齢によって容色が衰えている。彼女はもう何も持ってない。ここまで落ちぶれたら気が狂うのも当然で、ビッチになるのも仕方がないのだろう。「若さ」という女にとって最大の価値を失ったブランチは、体を求められることでしか心の空白を埋められなかった。男とセックスしている限り、まだ「女」でいることができる。本当の地獄は誰からも相手にされなくなってからだ。彼女は「死の反対は欲望」と述懐していて、つまり、生きるために肉欲を満たしている。ブランチは精神的に崖っぷちに立っているのであり、そんな女を主人公にした本作はえらい残酷だと思う。

スタンリーの暴力性も気が滅入る要素の一つだ。あんな汗臭いマッチョマンが目の前に現れ、怒鳴り散らしたり物を投げつけたりしたら、並の男だって小便をちびってしまう。ブランチにとってスタンリーがケダモノに見えるのも当然で、あんな粗野な人間は貧民街にしかいない。現代においてこの映画を観るのは、暴力とは無縁な中産階級なわけで、スタンリーとの関係においてはブランチに肩入れすることができる。

何も持ってないブランチが、「自分には精神の美がある」と他人に言い放つところがグロテスクで、そういうことは思っていても口に出さない、口に出したら負けだということをちゃんと理解してないところがぞっとする。何を言っていいかの分別がつかないあたり、ブランチは本当に気が狂っていたのだろう。金も若さも失った女は悲惨すぎると思った。