海外文学読書録

書評と感想

アルフレッド・ヒッチコック『パラダイン夫人の恋』(1947/米)

★★★

ロンドン。名家の未亡人パラダイン夫人(アリダ・ヴァリ)が、夫を毒殺した容疑で起訴された。敏腕弁護士のキーン(グレゴリー・ペック)が彼女の弁護を担当する。ところが、彼は夫人の魅力に取り憑かれて弁護にのめり込んでしまうのだった。キーンには糟糠の妻ゲイ(アン・トッド)がいる。一方、検察側の証人にはパラダイン家の使用人ラトゥール(ルイ・ジュールダン)が立つことになっていて……。

法廷劇を通して報われぬ愛を描いた映画で、黄金期のミステリにありそうな話だった。アガサ・クリスティとか、エラリー・クイーンとかがこういうのを書いてそう。

キーンの弁護術が常軌を逸していて、パラダイン夫人を無罪にするため、ラトゥールに殺人の罪を着せようとするのだから驚く。もし違っていたら冤罪だし、相手は身分が低いからそうしても構わないのだという差別意識まで透けて見える。高貴な夫人を救うためなら、どんな犠牲も厭わない。この精神にイギリスの階級意識を見ることもできよう。こんな弁護士が実際にいたら恐ろしすぎると思った。

ラトゥールは検察側の証人だから、当然被告にとって不利な証言することになる。それに対してキーンはどう立ち向かうのかと思ったら、ラトゥールをミソジニスト扱いして証言の信憑性を損なったり、さらには殺人者扱いして激昂させたり、およそ英国紳士とは思えない下劣な手法を駆使していてのけぞった。証人への人格批判は法廷ドラマでよく見るけれども、これで陪審員の心証が左右されたらたまらない。特に今回の事件は状況証拠しかないので、有罪か無罪かの判断が難しいのである。弁護士としてキーンが本当に優秀なのか疑問をおぼえた。

キーンの妻ゲイがよくできた女で、彼女はラストで傷ついた男根を癒やす役割を担っている。そもそも夫のキーンは、パラダイン夫人に惚れたから目が曇ったのだった。ゲイはそのことを知りながらも、回りくどい理屈をつけて夫を支えている。糟糠の妻とは得難いものだと感心した。

キーンはラトゥールの自殺に対してもっと罪悪感を抱くべきなのだけど、そんなことはお構いなしとばかりにパラダイン夫人のことばかり気にしている。僕はこれを見て、身分の低い人間は報われないなあと悲しくなった。人間は平等ではない。敬意を払われる者とそうでない者がいる。ここに社会の縮図を垣間見たのだった。