海外文学読書録

書評と感想

キング・ヴィダー『白昼の決闘』(1946/米)

★★★

南北戦争後のテキサス。白人とインディアンの混血娘パール(ジェニファー・ジョーンズ)が両親を亡くす。彼女は大牧場主のマキャレンス家に引き取られるのだった。そこの息子ジェシージョゼフ・コットン)とルート(グレゴリー・ペック)は対称的な性格をしている。やがてパールはルートに迫られ……。

デヴィッド・O・セルズニックが、『風と共に去りぬ』【Amazon】の西部劇版を意図して自ら脚本も書いたとか。そういえば、『風と共に去りぬ』も19世紀のアメリカ南部が舞台だけど、全然西部劇っぽくなかった。今思えば、稀有な映画だったかもしれない。

パールとルートの愛憎劇は一見すると論理的に破綻しているのだけど、しかし、その破綻こそが恋愛の要諦なのだと思った。男女を結ぶ感情は当事者にしか分からない。愛も憎しみも簡単に割り切れるものではなく、それゆえに第三者が見ても理解不能なのである。2人が情念に身を任せて矛盾した行動を取るのは、おそらく彼らの中では一貫した論理に基づいているのだろう。時に愛し合い、時に憎み合い、最後は銃で相討ちになって死ぬ。人間とはかくも複雑な存在なのだ。この映画はそんなことを言いたげである。

ジェシーもパールのことを好いていたのだけど、やさしい性格が祟ってルートに先を越されてしまう。実は当初、パールもジェシーのことを好いてた。それがルートに無理やり迫られた途端、そちらに鞍替えしてしまうのだから残酷である。この三角関係は、恋愛の本質を突いていると言えよう。つまり、女は品行方正な草食系男子よりも、愚劣な肉食系男子のほうに惹かれるのだ。目の前に都会的な紳士と粗暴なカウボーイがいたら、大抵の女は後者を選ぶ。女からしたら、男のやさしさは「弱さ」に通じているように見えるし、粗暴さは「強さ」に通じているように見えるのである*1。いつの時代も女は強い男を好む。だからやさしい男には惹かれない。これが世界の真理である。

鉄道の敷設を巡る対立は、南北アメリカの対立を再現しているように見えた。牧場主と鉄道会社の対立。私益と公益の対立。感情と理性の対立。当時の観客は、南北戦争で北部が勝って良かったと胸を撫で下ろしていたのではないか。マキャレンス家の当主(ライオネル・バリモア)は南部の悪を一身に体現していて、そのヒールぶりに拍手を送りたいくらいだった。

この頃のテクニカラーは夕方や夜間の表現が今と違っていて、その不自然さに独特の味わいがある。人工的な色彩が、フェアリーテイルのような幻想的な感触を生み出していた。

*1:ルートがライバルに対し、「他人の女を横取りするのは牛泥棒と同じだぜ」と言い放ったのには痺れた。女は牛と同じ財産なのである。