海外文学読書録

書評と感想

ジェニファー・イーガン『古城ホテル』(2006)

★★★

ニューヨークの刑務所。囚人のレイが創作プログラムで古城ホテルの物語を書いていた。物語の舞台は東欧の古城で、主人公のダニーがいとこのハワードに招かれる形でやってくる。ハワードは古城をホテルに改装するつもりだった。しかし、外界と隔絶したその古城には色々と不気味なことがあって……。

ハワードはダニーに顔を寄せ、声を低めて言った。まるで秘密を打ち明けようとしているみたいに。誰もそこにはいないんだ、ダニー。君は一人ぼっちだ。それが現実だ。(p.194)

単行本で読んだ。引用もそこから。

刑務所と古城ホテルによる二重構造の物語だから、どうせただのゴシック小説ではないだろうと高を括っていた。そうしたら案の定、両者を緊密に結びつける仕掛けがあった。贖罪としての物語は、既にイアン・マキューアンが書いてるので*1、この構造にはさほど感心しなかったけれど、それでも作者と作中人物との関連が明かされるくだりには驚きがあって、お前があいつだったのか! と心の中でツッコんだ。己の存在を擬態する際、視点を変えることは思いのほか有効なようだ。僕も私小説を書くときはこの手法を真似しようと思う。

ダニーの造形がいかにも現代人といった感じで面白かった。彼はもう中年なのだけど、いつまでも若くありたいと願っている。なぜなら、そうでないと何も成し遂げていない敗者になってしまうからだ。だから人間関係も、友人が結婚したら別の単身者に乗り換え、そうすることでいつまでも若い気分を保ったままでいる。おっさんになっても若い連中とつるんでいたい。年相応の成熟した大人になりたくない。こういうモラトリアム人間は現代に大勢いて、僕の観測範囲では大学院生に顕著である。ある種の大学院生は、アラサーにもかかわらず、学部生時代に所属していたサークルに顔を出し、10歳年下の学生たちと青春ごっこに興じているのだ。その様子は傍から見るとグロテスクだけど、何も成し遂げられない無能の人にとっては、現実逃避の場所として有効に機能しているのだろう。大学院とは社会不適合者のための福祉であり、院生たちはそこで終わらない夏休みを過ごしている。

ダニーが繋がり依存であるところも注目ポイントだ。彼は僻地でも通信できるようにパラボラアンテナを古城に持ち込んでいる。ダニーにとってのホームは、完全にひとつの場所に属さないことだった。必要なのはケータイとインターネットであり、それらで定期的に繋がることによって安心感を得ている。面白いのは、友人の間で忘れ去られることを過度に恐れているところだ。必要以上に不在の期間を作らず、こまめにケータイで連絡をとっては存在をアピールしている。これなんかも現代人に特有で、SNSが普及してから可視化されたと思う。テクノロジーの発展によって、人類は繋がり依存という新たな病を発症した。その事実がゴシック小説に持ち込まれているのが面白い。

ハワードの使命は人々の想像力を呼び覚ますこと。そのために古城をホテルに改装ようとしていた。娯楽産業によってではなく、自分自身の手で物語を作らせる。そのための場所を提供しようとしていた。この想像力というのが本作の通奏低音になっていて、外枠のレイやホリーにまで及んでいる。このように創作をネタにした話作りもなかなか興味深い。

*1:タイトルは『贖罪』【Amazon】。イアン・マキューアンの代表作である。