海外文学読書録

書評と感想

ヴィクター・サヴィル『間諜』(1937/英)

★★★

1918年。ストックホルムで婦人服店を構えるマドレーヌ・ゴダールヴィヴィアン・リー)は、連合軍の情報をドイツに提供するスパイだった。そんな彼女が逃亡者のドイツ人マルイッツ男爵(コンラート・ファイト)と出会って恋をする。一方、マドレーヌは実は連合軍の二重スパイで、彼女はドイツ第八諜報部長の正体を探るよう命じられる。

本作はイギリス映画だけど、スパイ活動と恋愛を絡めるあたりは古典的で、こういうのはハリウッドのお家芸ではなかったのだなと感心した。といっても、単にハリウッドのテンプレを踏襲しただけかもしれないし、あるいは、これが当時の世界的な傾向だったのかもしれない。事情がよく分からないのでもっとたくさん映画を観てサンプルを集めたいと思った。

第一次世界大戦のとき、スウェーデンは中立国だったため、マドレーヌはそれを隠れ蓑にしてスパイ活動ができた。ドイツの潜水艦に旅客船が襲われても彼女は見逃してもらえていた。中立国に様々な国のスパイが集まるのって、第二次世界大戦のときのスイスみたいで、これはヨーロッパの伝統なのだろう。そしてスパイ映画として本作が面白いのは、007のような能天気なスパイものではなく、スパイの苦悩をしっかり描いているところだ。公私に引き裂かれたマドレーヌは、一刻も早くスパイをやめたいと願っている。思えば、007はスパイ小説にハーレクイン要素を取り入れたことが画期的だった。このジャンル、実はジョン・ル・カレみたいな暗い小説のほうが原点回帰に近いようである。

二重スパイとして活動するのは思いのほか大変で、敵国に対してある程度正しい情報を与えておかないと信用してもらえない。重要な情報が間違っていたときは、相手に呼び出されてきつく詰められることになる。マドレーヌの場合は情報源が無能ということで一時は切り抜けたけれど、この微妙な駆け引きは心臓に悪く、スパイを職業にするのは難しいと痛感した。

序盤に旅客船のシークエンスを置いたのは、終盤の同じシークエンスに対応させるためで、序盤と終盤は対照関係にある。序盤に回帰するように見せかけて、実はまったく別の展開が用意されているのだ。こういう作劇上の工夫を戦前からやっていたのは意外で、クラシック映画もなかなか侮れないと思う。