海外文学読書録

書評と感想

マーティン・スコセッシ『キング・オブ・コメディ』(1983/米)

★★★★

コメディアン志望のルパート・パプキン(ロバート・デ・ニーロ)は、自分に才能があると堅く信じていた。その彼が売れっ子コメディアンのジェリー・ラングフォード(ジェリー・ルイス)と強引に同じ車に乗り合わせ、自分の芸を見てくれと懇願する。ジェリーは社交辞令でそれをあしらうが……。

これは『タクシードライバー』と表裏一体の関係にある映画で、例によって一人の男の狂気を描いている。といっても、両者は扱う世界が対照的だ。70年代の『タクシードライバー』がベトナム戦争と結びついていたのに対し、80年代の本作はショービジネスの世界と結びついている。もっと言うと、本作はテレビを媒介とした高度消費社会を反映している。ベトナム戦争に高度消費社会。2作とも時代が要請した映画なのかもしれない。

有名人とは大衆に欲望される存在であり、有名人であらんと欲するルパートは、大衆から欲望されたいと願っている。彼は自分に才能があると信じ、きっかけさえあれば成功すると思い込んでいた。自宅にいるときはトーク番組に出演するという体の妄想に明け暮れ、独自の精神世界を作り上げている。ところが、現実の彼は名前すらまともにおぼえてもらえない卑小な存在だ。行く先々の人々にパンプキンやらポトキンやらと呼ばれ、一人前の男として扱ってもらえないでいる。思い込みが激しいルパートは、現代で言えば積極奇異型のASDみたいな性格だ。物事を自分の都合よく解釈すると同時に、やたらと行動的である。ASDの彼に社交辞令や婉曲表現は通じない。また、相手の心情を慮ることもできない。自分の精神世界から一歩も出ることなく、積極的に行動しては他人を悲劇に巻き込んでいる。

どん底で終わるより一夜の王になりたい」というのがルパートの願いで、奇しくもそれは果たされることになる。なぜルパートの芸が大衆に受けたのかと言えば、大衆は面白いものを面白がるのではなく、周囲が面白いと目したものを面白がる傾向にあるからだろう。これはラカン的な欲望と同じ構造である。つまり、すべての欲望は他人の欲望であり、みんなが欲しがっているから自分も欲しいのだ。ルパートの芸に話を戻すと、有名なステージに立つ人物は、それだけで面白いに違いないという信頼ができあがっている。この芸はみんなが面白がっているのだ、という暗黙の了解ができあがっている。名声が虚像を実像に作り変え、乞食を王様の地位にまで登らせる。このように本作は、高度消費社会の歪みを捉えていて興味深い。

「無敵の人」がメディアの寵児になるところは、『タクシードライバー』と同じである。本作も現代の英雄を扱った映画と言えるだろう。ただし、本作にはルパートの成功が本人の妄想かもしれないという一定の留保がある。僕はその説を採用しないけれども、ある程度解釈に幅を持たせているところが面白い。