★★★★
ピョートル・グリニョーフは近衛の軍曹としてサンクト・ペテルブルグに勤務する予定だったが、厳しい父の意向で辺境の地ベロゴールスク要塞に配属される。そこでグリニョーフは大尉の娘マーリアに恋をし、さらに友人のシワーブリンと些細なことがきっかけで決闘に及ぶ。その後、プガチョーフの乱が勃発。ベロゴールスク要塞が叛徒に占領されてしまう。
「よろしい」とプガチョーフは言った。「さあ、今度は、きみの町がどんな状態か話してくれたまえ」
「ありがたいことに」とぼくは答えた。「すべて平穏無事です」
「平穏無事です?」プガチョーフは鸚鵡返しに言った。「だが民衆は飢え死にしかけているのではないか!」(p.177)
18世紀に起きたプガチョフの乱を題材にしている。作中にはプガチョフ本人が出てくるし、また、主人公のグリニョーフにはモデルがいるようだ。本作は歴史上の出来事を個人的な体験として生き生きと描いたところが面白かった。
昔の小説のわりにきちんと伏線を張っているところには感心した。序盤で行きずりの軍人とビリヤードをして大金を失うとか、旅の途中で無宿者に自分の衣服を与えるとか。これらは主人公の性格描写であると同時に、後の展開の伏線にもなっている。また、主人公は無宿者と行動している際に不吉な夢を見るのだが、これが終盤まで続く2人の関係を暗示していてなかなか粋だった。このように本作には技巧を探す楽しみがある。昔の小説だと思って舐めてかかると、その旨味を逃してしまうから大変だ。
史実のプガチョフがどういう人物かは知らないが、本作ではすこぶる魅力的な人物として描かれていて意外だった。皇帝を僭称しているわりにはフレンドリーだし、一見すると非支配者層のために旗揚げした義賊のような感じで、少なくとも悪役ではない。どちらかというと、さわやかな悪漢という風情である。考えてみれば、古来から集団を統率する人間には人たらし的な魅力があるのだろう。じゃないと部下がついてこないから。ましてや反体制的な集団である。結束するには大きな求心力が必要だ。ともあれ、本作のプガチョフは庶民感覚を持った悪漢で好感が持てた。
グリニョーフの父親は物語の遠景にいる人物だが、けっこう印象に残るキャラクターをしている。首都にいると堕落するから、という理由で若いグリニョーフを辺境に送っているし、また、グリニョーフが手紙で結婚の打診をしたらそれに反対しつつ息子をさらなる辺境に送ろうとしている。まさに典型的な家父長と言えよう。大昔の家庭とはいえ、理不尽なくらい厳しくて微笑ましくなった。
本作は大半がグリニョーフの手記という体裁で、ラストになって刊行者という外枠が出てくる。これはちょっとしたサプライズだった。もちろん、古典文学によくある構成であることは重々承知しているものの、久しぶりにこの手の小説を読んだので油断していた。たまには古典を読んでみるものだ。