海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・ソーンダーズ『十二月の十日』(2013)

★★★

短編集。「ビクトリー・ラン」、「棒きれ」、「子犬」、「スパイダーヘッドからの逃走」、「訓告」、「アル・ルーステン」、「センプリカ・ガール日記」、「ホーム」、「わが騎士道、轟沈せり」、「十二月の十日」の10編。

こんなふうに気分がいいときは、たまに森でぷるぷるふるえてる子鹿ちゃんのことを考える。

まあおチビさん、ママはどうしたの?

わかんないよ、と子鹿はヘザーの妹のベッカの声で言う。

あなたこわいの? お腹がすいてるの? 抱きしめてあげましょうか?

うん、と子鹿は言う。(p.8)

以下、各短編について。

「ビクトリー・ラン」。15歳の誕生日を3日後に控えたアリソンが、男に誘拐されそうになる。それを近所のカイルが目撃して助ける。文体がとても特徴的で、特にアリソン視点の叙述はほとんど岸本佐知子の小説だった。翻訳とはここまで自由にやっていいんだなあ、という感じ。全体としては現実とも空想ともつかない手触りになっていて、一連の誘拐劇がまるで白昼夢のように感じられる。とにかく文体が鮮烈だった。

「棒きれ」。2頁の掌編。父が庭に鉄パイプで作った十字架を設置し、何かイベントがあるごとにそこに飾り付ける。こういう本人にしか価値の分からないものは、多かれ少なかれみんな持ってるのだと思う。そして、本人にしか価値が分からないゆえに、死後はあっさり廃棄される。それが人生。

「子犬」。裕福な主婦のマリーが、子供たちを連れて売りに出されていた子犬を見に行く。ところが、現場に到着して辺りを見たマリーは買うのを断る。これは子犬の売買を通して格差社会を描いているのだろう。子犬の売り主は育ちの悪い家庭で、子供をハーネスで拘束している。おまけに余計な犬猫は子供たちに処分させていた。農場育ちなら当たり前らしいけど、それでも他所に通じる価値観ではない。家庭とはひとつの小さな独立国で、子供たちはそれに抗えないわけだ。

「スパイダーヘッドからの逃走」。囚人のジェフは薬物を注入され、女の囚人とセックスをする。その施設は薬物によって愛を作ったり消したりする実験をしていた。何でもかんでも薬物で解決するあたり、現代医療の闇を見ているような気分になるけれど、それにしても印象的なのが、囚人たちが倫理的な人物であることだ。むしろ、彼らをモルモットにしている科学者のほうが犯罪者っぽい。この世には、悪いことをして裁かれる人間と裁かれない人間がいるということか。

「訓告」。事業本部長による訓告メール。プロテスタントの倫理と日本人の労働観は親和性が高いと常々思っていて、だから日本はGHQの支配も滞りなく受け入れられたのだと思う。方や宗教によって駆動し、方や道徳によって駆動する。仮に日本国憲法を改正するとしたら、僕は第27条を削除したい。

「アル・ルーステン」。チャリティーショーに参加したアル・ルーステンが、控室で名士の私物を蹴っ飛ばして台の下に滑り込ませてしまう。そこから色々と空想を巡らす。アル・ルーステンは何となく冴えない男のように見えるけれど、客観的に判断すれば、店の経営者であるし、自己肯定感もそこそこ高いので、そこらの庶民より恵まれている。日本の氷河期世代と違って悲壮感がない。まだまだ可能性があるように見える。そういう人物でも上を見てしまうとキリがないのだ。幸福には絶対的幸福と相対的幸福の2種類があると思う。

「センプリカ・ガール日記」。40歳の所帯持ちの男が、後世の人に向けて日記を書く。彼は中流の家庭ではあるものの、知人の金持ちに嫉妬しており、娘の誕生日についてあれこれ心配している。そんななか、スクラッチくじで1万ドルを当てることでポジティブに。なるほど、我々は勝ち組になりたいんじゃなくて、勝ち組だと周囲に思われたいんだ。SNS学歴詐称をする人なんてその最たる例である。あと、男は後世の人に向けて日記を書いているけれど、後世の人は絶対にこの日記を読んだりしない。僕も含めて、ものを書く人間はその誤謬に気づかないまま延々と無駄な文章を書いている。

「ホーム」。帰還兵のマイクが故郷に戻ると、母は新しい男と同居していた。一方、妹は豪邸で夫と赤ん坊の3人で暮らしている。ある日、マイクたちは家賃滞納で家を追い出されることに。マイクは帰還兵だから表向き敬意を払われているけれど、手厚い社会保障を受けているわけでもなく、命を賭けただけ損したような状況になっている。SNSを観測していると、ある種の恵まれない人たちは「みんな死ねばいいのに」と世界を恨む発言をする。僕はそれを見て「お前が死ねよ」と心のなかでつぶやく。そいつのわがままが許せないのだ。マイクが陥っている状況も、世界を恨む人間のそれであり、なるほど、こういう経緯で人は自暴自棄になるのかと納得した。

「わが騎士道、轟沈せり」。演劇のアトラクション施設で働くテッドが、上司にレイプされた後の同僚マーサを目撃する。翌日、その上司に言い含められてテッドとマーサは昇進するのだった。配給された薬を飲んで仕事に臨んだテッドは……。薬を飲んでから文体が変わるところが見どころで、世界に対する認識の変化をこのような形で表現したのが興味深い。「ビクトリー・ラン」と同じくらい訳者の個性が突き抜けている。

「十二月の十日」。ロビン少年が湖畔で遊んでいるとベンチにコートがあった。少年はコートの持ち主を救出に向かう。一方、コートの持ち主は病に冒されて自殺しようとしており……。2つの異なる視点から物語を進め、それらを交差させてある種のインパクトを起こす。それが著者の十八番だろうか。2人とも個々人ではありふれた「負け犬」かもしれないけれど、彼らが出会って化学反応を起こすことで気の利いた物語になる。