海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・シドニー『アニーよ銃をとれ』(1950/米)

★★★

シンシナティバッファロー・ビル(ルイス・カルハーン)の一座がやってきた。現地で兄弟と野性的な生活をしているアニー・オークリー(ベティ・ハットン)は、一座の看板スターであるフランク・バトラー(ハワード・キール)に一目惚れする。ところが、アニーは女だてらにフランクよりも射撃が上手かった。フランクはそれが気に入らないでいる。

現代人からすると量産型ミュージカルにしか見えないけれど、まあ、クラシック映画とは時代の雰囲気を味わうための映画なので、これはこれでありかもしれない。冒頭に祝祭的なミュージカルシーンを配置するのは、この手の映画のお約束だろう。歌手にスポットを当てながらも、背景でたくさんの人たちがわちゃわちゃしている。このオープニングには引き込まれるものがあった。

アニー・オークリーは当初、土人みたいな風体をしていて、序盤は見ていて違和感があった。前近代的人物というか、汚いボロをまとった野生児みたいな女なのである。彼女は文字もろくに読めないし、見るからに不衛生だ。特技といえば射撃だけである。アニーは白人とインディアンの中間的なポジションにいて、どうやら気ままに暮らしている様子。本作ではそんな自由人が旅の一座に加わって活躍するわけで、これは異能の人が適材適所によって力を発揮する物語だと言える。

僕は全国を巡業するショービジネスに憧れがあって、特に大昔のサーカスには幻想を抱いている。僕が生まれた頃には既にそういうビジネスは滅んでいた。今だとせいぜいミュージシャンの全国ツアーか、大相撲の巡業くらいしかないだろう。僕はもっと胡散臭い見世物を生で見たいわけで、だからこそこういう映画に惹かれるのだと思う。

フランクにとっては射撃の腕前こそがアイデンティティだったのだけど、それをよりによって女に負かされ、プライドを大いに傷つけられてしまう。銃=男根というお決まりの図式に従うならば、この状況は男性性の危機なのだろう。アニーとフランクは恋愛関係になるものの、この傷ついた男性性が終盤まで障害になっている。ここからどうやって大団円を迎えるのかと興味津々でいたら、やってることがちょっといただけなかった。というのも、アニーがフランクの男性性を復権させることで、両者は結ばれるのである。当時は男尊女卑の時代だったからこれで良かったのだろうけど、さすがに現代人が見るとちょっときつい。良くも悪くもクラシック映画だなと思う。

本作はミュージカル映画であると同時に西部劇でもあるけれど、白人とインディアンが当たり前のように共生しているところは見ていて微笑ましかった。