海外文学読書録

書評と感想

クリストファー・ノーラン『バットマン ビギンズ』(2005/米)

★★★★

ゴッサム・シティ。子供の頃に両親を殺されたブルース・ウェインクリスチャン・ベール)は、14年後の現在、犯人が司法取引で釈放されることを知る。犯人がマフィアの手で殺された後、ブルースはヒマラヤに入って影の同盟の元で修行する。悪を倒す力を身につけたブルースはゴッサム・シティに帰り、バットマンに扮して街の悪に対抗する。

現代でヒーローものをやるには色々と理屈をつけないといけないみたいだ。ヒーローをやる動機だったり、内に抱える恐怖だったり。でも、能天気なヒーローものよりはこういうこじれたヒーローもののほうが好感が持てる。アメリカの場合、文学よりも映画のほうがよりダイレクトに世相を反映するとはよく言われることで、僕もそれ目当てで観ているところがある。本作のこじらせ方もその類だったので、個人的には満足のいく映画だった。

本作は敵がフリークスじゃないので、普通のアクション映画にコスプレヒーローを放り込んだような趣になっている。最初の敵はマフィアだし、ラスボスもまあ普通の人間だ。ティム・バートン版のヴィランに比べると地味だけど、しかしこれはこれで新鮮味がある。ジョーカーやペンギンなんて実はいらなかったのだ。悪役が地味でもヒーロー映画は面白くできる。そのことが分かったのが収穫だった。

暴走する正義というのが本作の肝だろう。本当に怖いのは分かりやすい悪ではない。一見すると道理が通っている正義だ。強い信念を持った正義が、悪を憎むあまりに強硬な手段をとっている。正義の反対側には別の正義があるとはよく言われることだけど、バットマンとラスボスの関係はまさにそれで、暴走する正義をいかに止めるかがアクチュアルな問題としてあるのだろう。それはポスト9.11の大きな課題であり、アメリカでこういう映画が作られた意味は大きいと思う。

終盤でモノレールを暴走させるシークエンスは派手なスペクタクルになっていて、アクションのピークを終わり際に持ってくるところはエンターテイメントの鑑だと思った。MIシリーズはこれを見習ってほしいところである。それと、特筆すべきがバットマンのコスチュームで、心なしかティム・バートン版よりもシュッとしてるように見える。こちらのほうが動きやすそうだった。

最後に屋敷が全焼してさらに井戸を封印したのは、ブルースが過去を乗り越えたということだろう。ただ、彼の立場にはまだ問題があって、自警団ヒーローをやる正当性が見出だせない。このままでは良く言ってノブレス・オブリージュ、悪く言えば金持ちの道楽である。彼が暴走する正義になる可能性も捨てきれない。