海外文学読書録

書評と感想

大島渚『少年』(1969/日)

★★★★★

少年(阿部哲夫)は父(渡辺文雄)と継母(小山明子)に連れられ、当たり屋をしながら旅をしていた。父は戦傷と病気を言い訳にして定職につかず、代わりに継母と少年が当たり屋をして示談金を騙し取っている。足がつくのを恐れた一家は、いつしか高知から北海道まで足を伸ばすのだった。

これはまた凄まじい家族映画だった。実在の事件をモデルにしてるらしい。最後まで観て確信したけれど、『万引き家族』は本作を参考にして作っている。日本の社会制度からこぼれ落ちた家族の肖像。本作が当たり屋で、『万引き家族』が万引きだ。そして、子供はいつだって親を選べない。両者は核の部分が似ている。

父は今風に言えばヒモだけど、なぜか偉そうにしていて少年と継母は彼に支配されている。DVもするのだからタチが悪い。当たり屋をさせられている少年は、本来だったら児童相談所を頼るべきである。けれども、10歳だからそんな知恵もなく、父に引きずられるようにして犯罪に手を染めている。少年には助けが必要なのに誰も助けられない。そして、日本にはそういう人たちが何人もいて、彼らは社会の隙間でひっそりと生きている。法律の世界では、「権利の上に眠るものは保護に値せず」という理論がまかり通っているけれど、それはあまりに残酷な考えだろう。みながみな世知に長けているわけではないのだから。社会のレールから外れた人たちをいかにして保護するのか。弱者や愚者をいかにして救済するのか。我々はその方法を模索すべきだと思う。

見ていて不思議だったのは、車の運転手がみな示談に応じるところだった。これって現代人の感覚からするとあり得ないのでは? というのも、今は運転免許を取得する際、事故ったら必ず警察を呼ぶよう教習所や運転免許センターなどで念押しされるから。僕はまだ事故ったことがないけれど、仮に人を轢いたら迷わず警察を呼ぶだろう。示談で済ますことはまずない。そういう遵法精神ができあがっている。翻って本作では、金で片づくならそれで済まそうという人ばかりで、日本人の事なかれ主義を物語っている。こういう姿勢は良くないのではなかろうか。人間は自らの行いに対しては責任を取らなければらない。示談に応じるのはあまりに無責任である。

所々に挿入される少年の一人芝居が絵になっていた。一人でかくれんぼをするシーンとか、海岸で寸劇をするシーンとか。極めつけは、自分と同じくらいの雪の塊を必死になって壊すシーンで、映画の醍醐味は映像にあることを再確認した。