海外文学読書録

書評と感想

大島渚『夏の妹』(1972/日)

夏の妹

夏の妹

  • 栗田ひろみ
Amazon

★★★

沖縄が返還された1972年。中学生の素直子(栗田ひろみ)とピアノの先生・桃子(りりィ)が、夏休みを利用して東京から沖縄にやってくる。2人は素直子の異父兄・鶴男(石橋正次)を探しにきた。一方、船内で知り合った桜田(殿山泰司)は沖縄人に殺されたがっている。逆に地元の唄者・照屋(戸浦六宏)は日本人のことを殺したがっていた。

冷静に考えると爛れた男女関係の話(いわゆるNTRってやつ)なのだが、主人公の素直子が天真爛漫だったせいか、あまり重くなかった。むしろ、沖縄を舞台にした青春映画といった趣である。沖縄が返還されてすぐにこういう映画を撮ったフットワークの軽さにびっくりする。大島渚って早くて安くてそこそこ美味い監督ではないか。

本作を見て分かったのは、日本人と沖縄人には明確な違いがあるということだ。僕の感覚だと、沖縄人はあくまで沖縄県民であって、日本人に包摂される存在である。言ってみれば、北海道民や福岡県民みたいなものだ。つまり、あくまで47都道府県の一部。けれども、その認識は大きな間違いだった。日本人と沖縄人は、根本的にアイデンティティが違うようである。沖縄には言語を始めとする固有の文化があるし、戦争を挟んだ固有の歴史もある。実を言うと、僕は沖縄が基地問題で揺れてるのを不思議に思っていた。住宅地のど真ん中にある普天間から、人の少ない辺野古へ移設するのは合理的だと思っていた。しかし、それはあくまで日本人の考え方であって、沖縄人の考え方ではないのだろう。沖縄の文化と歴史を理解しない限り、沖縄人を理解することはできない。

コザ市には売春婦がたくさんいて、本土の人間が羽目を外しに来るという話はせつなかった。まるでバブル期のフィリピンみたいだ。当時は日本のおじさんたちが東南アジアに行って児童買春をしていた。それと、ラストで桜田(沖縄人に殺されたい日本人)と照屋(日本人を殺したい沖縄人)が小舟の上で揉み合って、照屋が海に転落する。これなんかは日本と沖縄の力関係を象徴していて興味深い。つまり、沖縄が日本に負けたわけだ。この頃からもう現在の状況が予見されていて驚いた。

俳優については、栗田ひろみ演じる素直子がウザすぎた。自分のことを「スータン」と呼んでいて痛々しい。一方、りりィ演じる桃子はアンニュイな感じがして良かった。枯れた声がセクシーである。また殿山泰司は、昨年『殿山泰司ベスト・エッセイ』【Amazon】がちくま文庫から出ていて積ん読だった。これを機に読もうと思う。

そういえば、『ONCE ダブリンの街角』の項で、「アイルランド人にとってロンドンとはどういうポジションなのだろう?」と書いたが、本作を見て答えが出た。沖縄人にとっての東京だ。すなわち、アイルランド人=沖縄人、イギリス人=日本人である。謎が解けてすっきりした。