海外文学読書録

書評と感想

アンドリュー・ショーン・グリア『レス』(2017)

★★★

売れない作家のアーサー・レスは、もうすぐ50歳の誕生日を迎えようとしていた。彼は若い頃に年上の天才詩人ロバートと恋仲にあり、彼と別れたあとは友人の血縁フレディと恋仲になっている。アーサーはフレディと9年間つき合って別れ、その後、フレディは結婚することになった。結婚式の招待を受けたアーサーは、出席を回避するために世界ツアーに出る。

十歳のとき、我々は母親が恐れる以上に高いところまで木を登ろうとする。二十歳のときは、ベッドで眠っている恋人を驚かせようと、寮に梯子をかけて登る。三十歳になると、鮮やかな青緑色の海に飛び込む。そして四十歳、我々はただ微笑んで見守るようになる。しかし、四十九歳では?(p.134)

ピュリッツァー賞受賞作。

歳を取るとはどういうことなのだろう? と考えてしまった。絵画や音楽といった芸術には時を止める効果があるけれど、人間は生き物なので必ず歳を取る。刻一刻と老化していく。そして、人間は年齢によって旬があるため、ちょっとした時間のずれが恋人関係にも影響を及ぼす。たとえば、年上と年下がつき合った場合、時が過ぎてゆくにつれて片方が歳を取りすぎてしまう。アーサーは年上のロバートと関係が始まったとき、「これから先、僕は君にとって歳を取りすぎてしまう。君が三十五歳のとき、僕は六十だ。君が五十のとき、僕は七十五歳になる。そうなったら、我々はどうする?」と彼に言われる。このときアーサーは22歳だった。そして20年後、アーサーは年下のフレディとつき合うことになり、今度は自分が年寄りになったときの立場を味わう。残酷なことに時間は立ち止まらない。時が経つにつれて立場が変わっていく。

50歳とはどういう年齢なのだろう? 僕はまだまだ先のことなので想像がつかない。孔子は「五十にして天命を知る」と言ったそうだけど、果たして自分が50歳になったときにそうなるのだろうか。告白すると、僕はおっさんになった今でも自意識は18歳のままだ。同年代の女性を見るたびに「酷いBBAだな」と顔をしかめてしまう。20代前半の女性じゃないと自分とは釣り合わないとすら思ってしまう。自分がおっさんであることを棚に上げて恐縮だけど、これが嘘偽らざる僕の心境だ。だから、アーサーが50歳になる覚悟ができてないというのもよく分かる。自意識はおそらく若い頃のままで、年齢だけ重ねているのだろう。彼は青春と老齢の間で生きている。そして、おっさんの僕も同様の状態で生きている。我々は歳相応に内面が成熟していない。ただ外見だけが老化し、不可避的な死に近づいているのみである。

アーサーはある人物からゲイ作家の心得みたいなものを説かれるのだけど、これがまたふざけた代物で面食らった。ゲイの作家は、自分たちの世界について何か美しいことを示すのが義務なのだという。ゲイのためになる作品を書くことが、作家として高い地点を目指すことになるのだそうだ。これってマイノリティ全般に通じる酷い理屈だと思う。女性は自分が女性であることに縛りつけられ、黒人は自分が黒人であることに縛りつけられる。そして、ゲイは自分がゲイであることに縛りつけられる。仲間内からそういう突き上げを食らうのだから救いようがない。我々はもうそういった党派性を超越すべきだろう。

本作には語り手についての謎があって、それが明かされるラストには不思議な爽快感があった。このブログでたびたび書いているように、一筋縄では語らないのが最近のアメリカ文学だと思う。