海外文学読書録

書評と感想

山田洋次『男はつらいよ』(1969/日)

★★★★

テキ屋の車寅次郎(渥美清)が、20年ぶりに葛飾柴又へ帰ってきた。両親は既に死に、身内は妹のさくら(倍賞千恵子)だけ。そのさくらは実家で親戚夫婦と暮らしている。寅次郎はホテルで行われたさくらの見合いをぶち壊しにするも、その後、職工の博(前田吟)がさくらに惚れているところに容喙する。さらに、寅次郎は幼馴染の冬子(光本幸子)に惚れていた。

落語をそのまま映画にしたような感じだった。とにかく渥美清の口跡がやたらと良くて、この人の本職は噺家ではないかと思ったほどだ。寅次郎はテキ屋をやってるだけあって、長い口上をすらすら述べる。おひかえなすって式の口上を淀みなく述べる。よく深夜のテレビ番組で包丁の実演販売をやっているけれど、それと同じくらい喋りが上手い。口八丁で生きてきた者ならではの凄みがある。

そして、寅次郎の人物像がまた落語の登場人物みたいにちゃらんぽらんなのだ。江戸時代というモラトリアムの世紀にいた余計ものの末裔。定職に就かず、毎日ぷらぷらしては身内の人間関係に首を突っ込んでいる。昔のことはよく分からないけれど、昭和というのはこのような余計ものが許容されていた時代だったのではないか。親戚に1人くらいはこういうやくざものがいたに違いない。今だったらニートだとかひきこもりだとか言われて後ろ指を指され、就労への圧力を強く受けていただろう。労働して、納税して、楽しみもなく一生を過ごす。そういうつまらない人生を強制されていただろう。今は余計ものが気楽に生きることのできない時代だ。どんな人間も高い生産性を求められる。それだけに、本作で描かれたファンタジーには憧憬をおぼえた。

その一方、自由に生きている寅次郎には不幸になってほしいと思っている。いい加減に生きている人間にはそれなりの報いがあってほしいと望んでいる。これは僕が寅次郎に嫉妬しているからこその感情だろう。現代人の生きづらさ、とりわけ男性の生きづらさを日々痛感しているので、そういった軛から解放された寅次郎がとにかく妬ましくて仕方がないのだ。僕も男性の義務を放り出して好きなことだけして生きていきたい。寅次郎よ、不幸になれ。その思いを心に抱きながら観ていた。

ただ、寅次郎には根無し草ならではの悲しみもあって、唯一の身内だった妹は結婚したし、自分の恋は破れたし、いい歳こいて独り身で先の展望が見えない。フーテンの彼はどこにも居場所がないのだ。ただ風の吹くまま気の向くまま流れていくのみである。自由の代償が存外大きかったことが分かって、一抹の寂しさを感じた。