海外文学読書録

書評と感想

リチャード・ヒューズ『ジャマイカの烈風』(1929)

ジャマイカの烈風 (必読系!ヤングアダルト)
 

★★★

バス=ソーントン家の子供たち――ジョン、エミリー、エドワード、レイチェル、ローラ――が、ジャマイカから故国イギリスへ旅立つことに。ところが、彼らの乗った船が海賊船に襲われ、積荷ごとその海賊船に移ることになった。子供たちと海賊はそれなりに友好的な関係を保つが、あるとき、船内で殺人事件が起きる。

大人というものは、人を欺そうとするとき、かなりの不安を抱くものである。そして、たいてい失敗する。しかし、子供はちがう。子供は、どれほど恐るべき秘密でも、何の苦もなくかくしおおせて、まったく感づかれずにすんでしまうのだ。親というものは、子供の気がつかないいろいろのことをよく見抜いているつもりだものだから、子供が本気になってかくす気になったらぜったい負けだということが、ほとんどわかっていあいのだ。(pp.123-124)

晶文社の〈文学のおくりもの〉シリーズで読んだ。引用もそこから。

海賊船の捕虜になるという異常な状況下で、一見すると無垢に思える子供たちの一筋縄ではいかない心性に迫っている。本作は『蝿の王』【Amazon】に影響を与えたらしい。子供たちの無自覚な残酷さ、大人とは一味違う精神のありようが浮き彫りにされていた。

ミステリ読みの悪いくせで、途中からは「殺人の落とし前をどう着けるのか?」という興味で読んだのだけど、安易に責任を取らせずああいうエンディングに持っていったのは意外だったし、正直ぞっとするものがあった。僕は小市民なので、犯罪者は法の裁きを受けるべきという信条を持っている。遵法精神も周囲に比べたらなかなか高い。だから若い頃は探偵小説を愛読していた。あのジャンルはだいたい秩序の回復がなされるから。一方、本作だと罪を犯した大人は裁かれるものの、同様のことをした子供は裁かれない。何事もなかったかのように日常に溶け込んでいく。その対比が実に鮮烈だった。本作は冒険譚の皮を被りながらも、こういう批評的な視線を取り入れていて、並の小説ではないという感じがする。

本作でもっとも印象に残っているのが、「赤ん坊は、もちろん人間ではない」というくだりだ。赤ん坊は独自の言葉や心を持っているものの、猿のほうがよっぽど人間らしいという。ここはあまり本筋とは関係のない議論なのだけど、この説を進めていくと、たとえば「知的障害者は人間ではない」という結論に至ってしまうので、さすがに危険じゃないかと思った。このくだりを読んで真っ先に連想したのが、相模原障害者施設殺傷事件である。犯人の植松聖は、「心失者なんていらない」という信条の持ち主だった。思考はいつか言葉になるし、言葉はいつか行動になる。僕も発言には気をつけようと思った。