海外文学読書録

書評と感想

ジョージ・マーシャル『砂塵』(1939/米)

砂塵(字幕版)

砂塵(字幕版)

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★★

西部の町ボトルネック。酒場女のフレンチ―(マレーネ・ディートリッヒ)は、情夫でイカサマ師のケント(ブライアン・ドンレヴィ)と組んでターゲットの土地と牛を奪い取った。被害者は不正を保安官のキーオに訴えるも、様子を見に行ったキーオは一党に射殺されてしまう。その後、酔っ払いのウォッシュが保安官に任命された。ウォッシュは自分の片腕として、名保安官の息子トム・デストリー・ジュニア(ジェームズ・スチュワート)を呼び寄せる。

マレーネ・ディートリッヒキャットファイトや主婦連中による酒場への殴り込みなど、見所はそれなりにあったものの、ジェームズ・スチュワート演じるトムの役割が一貫してなくて不満が残った。

トムは父親を背後からの銃撃で亡くしたことから、「銃は役に立たない」という信条の持ち主で、保安官代理に任命されてからも丸腰だった。そもそも馬車でボトルネックに現れたシーンからその面が強調されていて、荒事なんてやらなさそうな優男として描かれている。馬車から降りた際は女性にパラソルを差していた。そして、酒場では大勢の客から女っぽいと馬鹿にされ、バーテンからはミルクを勧められて笑いものにされている。銃=男根というお決まりの図式に従うならば、銃を持たないトムは男性性の欠如した女子供である。だから女のようにパラソルを持ち、子供のようにミルクを飲む。そういう去勢されたキャラとして描かれている*1。で、そんな彼が銃を持たずにどうやって無法者を抑えるのかと興味津々で観ていたら、結局は銃を使って事態の解決を図ったので拍子抜けした。そりゃ無法者を射殺すればすべては丸く収まるよ。一番簡単。最短ルート。でも、それをせずに当初の信条のまま丸腰で解決していたら、きっと名作になっていただろう。どういう手順を踏むのか想像がつかないし。この結末は観ていて残念に思った。

ところで、西部劇と探偵小説は、どちらも秩序の回復を志向しているところが共通している。無法者によって乱された秩序。殺人者によって壊された秩序。法と秩序を守るのが保安官であり、名探偵なのである。西部劇では保安官が無法者を排除し、探偵小説では名探偵が殺人犯を暴き出して大団円を迎える。僕が西部劇を好んで観ているのは、元々探偵小説が好きだからということが分かった。西部劇と探偵小説はファン層が重なっていると思う。

*1:とはいえ、途中で銃の腕前を披露するシーンはあるし、無法者を拳で殴り倒すシーンもある。女に対しては男らしい身振りもしていた。