海外文学読書録

書評と感想

瓊瑶『寒玉楼』(1990)

寒玉楼

寒玉楼

 

★★★

1910年。満州族の姫君・雪珂と漢族の亜蒙が馬車で駆け落ちする。ところが、馬で追いかけてきた雪珂の父・頤親王に捕まってしまうのだった。雪珂は羅至剛に嫁ぐ予定だったが、腹には亜蒙の子を宿している。何とか死刑を免れた亜蒙は辺境に流され、産まれたばかりの子供はどこかへ追いやられることに。雪珂は親に決められた通り至剛と結婚する。

「どんな理由があるにせよ、許しも得ずに勝手に屋敷を出てはいけない。雨点、おまえは下女なんだよ、下女には下女の分というものがある。上には主人がいる。羅家が金を払っておまえを買い、食べさせ、着せ被せして養ってやっているんだ。だからおまえはわたしたちのいうことをきかなければならない。好き勝手なことをしてはいけない。わかったかい? 下女には下女のきまりがある。これがおまえの運命なのだ。運命とあきらめて、下女の分をわきまえなければならない、わかったかい?」(pp.121-122)

漢族と満州族による悲恋ものということで、当初は中国版『ロミオとジュリエット』【Amazon】を予想していたけれど、結果的にはだいぶ毛色の異なる内容になっていた。

物語は20世紀文学らしく心理劇っぽい様相を呈している。不本意にも至剛のもとに嫁いだ雪珂は亜蒙に操を捧げているし、一方、至剛は至剛で雪珂の不貞を知って彼女を憎み、それがゆえに彼女と一緒にいることを選択している。至剛の心理はなかなか複雑で、当初は面子のために彼女を家に置いていた。そこに愛はなかった。雪珂から離婚を提案された際も、相手を憎んでいるからそれに応じないなんてことをしている。この辺は人間臭いというか、現代人と変わらないなと思う。妻を憎んでいるがゆえに、彼女のメリットになるようなことをしたくない。婚姻関係という鎖に縛っておきたいと思っている。自分の幸福よりも相手の不幸を望む心理。こういう非合理的な態度が実に人間臭いではないか。頭でっかちなネット民はよく論理的であることが重要だと説くけれど、人間は往々にして感情で動いているし、社会もだいたいそんな感じで動いている。我々はロボットじゃないのだ。だからこういう心理劇が成立するわけで、人間ってホントどうしようもないと思う。

中華民国になった後、流刑地から帰ってきた亜蒙は名前を変えて雪珂の前に現れる。さらに、2人の娘は雨点と名づけられ、色々あって羅家の下女に、すなわち雪珂のすぐ側で生活することになる。物語としては、3人が一緒になることで大団円になるのだけど、そこは焦らしに焦らすのだからハラハラする。読んでいて「あー!」ってなる。しかも、物語の終わらせ方がなかなか意外で、大衆の欲望に迎合したりはしない。予想外の捻りを入れている。振り返ってみると、これは男女の情念の物語だったのだ。雪珂は愛ゆえに小指を詰めたり、匕首を胸に突き立てたりしていて、昔の女性の苛烈さにびびってしまう。

雪珂が下女の雨点を自分の娘だと知る場面がロジカルで感心した。当時は身分証もなければ、遺伝子検査もない。あったとしても検める機会がない。そういうどんずまりの状況のなか、肉親にしか分からない符丁で偶然知ることになる。ここは素直に喝采を送りたくなった。