海外文学読書録

書評と感想

フランク・キャプラ『或る夜の出来事』(1934/米)

或る夜の出来事(字幕版)

或る夜の出来事(字幕版)

  • クラーク・ゲイブル
Amazon

★★★★

富豪の娘エリー(クローデット・コルベール)が父親の反対を押し切って男と婚約、そのためにヨットに監禁されるも、海に飛び込んで脱出する。彼女はマイアミから婚約者のいるニューヨークへ向かうのだった。バスに乗り込んだエリーは、失業中の新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)と乗り合わせる。

本作は男女のロマンスを扱った古典的なロードムービーで、後の映画にパクられまくった結果、今観ると微妙な感じがするのは否めない。けれども、やはり見所は多いので、未見の人は外国の観光名所を訪れるような感じで観るべきだ。観光とは新たな発見をするためではなく、既に知っていることの確認をするために行うものなので。ピーターとエリーを分かつ「ジェリコの壁」や、エリーがヒッチハイクで脚を見せるシーンなど、誰もが知る名場面は目に焼き付けておいて損はない。たとえるなら、自由の女神グランド・キャニオンを見に行くようなものだ。文学と同様、映画でも間テクスト性を確認することは重要である。

本作はとにかくジェリコの壁の使い方が巧妙で、これだけでも名作と呼ぶ価値はある。ジェリコの壁とは、ピーターとエリーが同じ部屋の別々のベッドで寝ようというとき、2人の間にシーツを下げて仕切りを入れる、その仕切りのことだ。元々はハリウッドのヘイズ・コードを守るため、未婚の男女を同衾させないよう工夫したのが始まりだけど、これを作劇上の必然的要素として有効活用している。最初に壁が作られたときは、エリーがピーターの名前を知り、2回目に壁が作られたときは、エリーが泣きながらピーターに告白した。一緒に旅をすることでそこまで事態が進んだ。そして、最後は2人が結ばれて見事に壁が取り払われている。1枚のシーツを軸にしたこの変化がたまらなく粋だ。制約をシンボルにまで昇華している。

見ていて気になったのが、ピーターとエリーの父親との会話。ピーターがエリーについて、「彼女には殴ってくれる相手が必要だ」と評していて、これには面食らった。甘やかされて育ったところが駄目なのだという。うーん、それにしたって女を殴るとはねえ。いわゆるDVってやつじゃないか。当時はそういう時代だったのだろうけど、分かっていてもショッキングだった。たとえるなら、シェイクスピアの『じゃじゃ馬馴らし』【Amazon】を読んだときのような感じ。あれもなかなかきつかった。

バスの車内で3人組が楽器を奏でながら陽気に歌っていて、アメリカのフリーダムぶりに思わず頬がゆるんだ。その後、乗客たちも合唱している。これが文化なんだなあと感心した。