海外文学読書録

書評と感想

オーソン・ウェルズ『市民ケーン』(1941/米)

市民ケーン(字幕版)

市民ケーン(字幕版)

  • オ-ソン・ウエルス
Amazon

★★★★

新聞王ケーンオーソン・ウェルズ)が「バラのつぼみ」という言葉を残して死んだ。彼の生涯をまとめたニュース映画が作られるも、経営者はそれに満足せず、ケーンと関わりのあった人たちにスタッフを派遣して聞き込み取材をする。ケーンの母はふとした幸運から大金持ちになり、幼いケーンは教育のために両親から離されてニューヨークで育った。大人になったケーンは新聞経営に携わり、赤字から一転して成功を収める。その後は大統領の姪と結婚、知事選に出馬するが……。

本作のいいところはその語り口で、ある人物の一生をどのようにして表現するのか、その手法において非凡な工夫が凝らされている。一方では、第三者が調査目的で聞き込みをして他者の視点・現在の視点から攻めていく。もう一方では、ケーンのエピソードを直接示して当事者の視点・過去の視点から攻めていく。両者の配合がまた絶妙で、ケーンの人物像を上手く浮き彫りにしていた。本作はモノローグを入れるなんて野暮なことはしてないから、ケーンの内面を直接窺い知ることはできない。観客は外面からその心の内を推し量ることになるのだけど、そこはちゃんと分かりやすくエピソードを作っていて、ケーンの孤独をありありと表現している。何もかも手に入れ、すべてを失った。それが新聞王ケーンの悲しみであり、2時間でその生き様を駆け抜けている。

「バラのつぼみ」の使い方も巧妙で、これが最大の謎として物語を引っ張りつつ、最後にはぴたりとパズルのピースがはまっている。伏線もしっかり張っていて、少年時代の雪のシーンではちらりとその印が見えているし、スーザンとの出会いのシーンでは、会話のなかで母の遺品についてはっきりと述べている。ケーンの孤独の源泉は少年時代、すなわち両親から引き離された時点にまで遡るのだ。最初と最後に「NO TRESPASSING (立ち入り禁止)」の看板が示されるところが象徴的で、これはケーンの内面には誰も踏み込めないことを意味しているのだろう。まさにブルーハーツの楽曲「月の爆撃機」【Amazon】の世界である。つまり、「ここから一歩も通さない/理屈も法律も通さない/誰の声も届かない/友達も恋人も入れない」ということ。孤独は一人で抱えるしかないのである。

本作でもっとも気に入っているシーンは、自宅で最初の妻と食事をするシーン。同じシチュエーションをそれぞれ違った時間の映像で連ねていて、時の移ろいをスマートに示していた。こういう編集も非凡な語り口のひとつだと思う。本作は観るたびに新たな発見があるスルメ映画ではなかろうか。