海外文学読書録

書評と感想

アルフレッド・ヒッチコック『疑惑の影』(1943/米)

★★★

カルフォルニア州サンタ・ローザ。ニュートン家の長女チャーリー(テレサ・ライト)は、自分と同じ名前の叔父チャーリー・オークリー(ジョゼフ・コットン)を恋しがっていた。そんな矢先、叔父のチャーリーがニュートン家にやってくる。彼は羽振りが良さそうだったが、ある秘密を抱えていた。

この映画の見所は、姪のチャーリーと叔父のチャーリーが、平和なニュートン家のなかで密かに火花を散らすところだろう。様々な状況証拠から叔父の正体が観客にほのめかされているので、いわゆる謎解きミステリみたいな趣向はない。断定はされないものの、殺人事件の犯人は早い段階で明らかになっている。一応、どんでん返しの可能性もないことないけれど、話が進むにつれてその可能性は薄れていく。なので、本作は姪と叔父の緊張関係で引っ張るサスペンス映画として観ることになる。

ところで、監督のヒッチコックは『映画術』【Amazon】のなかで次のように述べている。

 もしサスペンスというものが「彼は犯人なのか、そうではないのか」という問いをめぐって成立していて、それに対して「そう、彼は犯人だ」という答えをだしたなら、それは単にひとつの疑惑を確認させてやること、つまり「ああ、やっぱりそうだったか」と観客に思わせるだけのことで、それではドラマチックなじゃないとわたしは思うんだよ。(p.37)

さらには次のようにも。

わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的パズル・ゲームにすぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ。(p.60)

本作でやりたかったのは、つまりそういうことなのだろう。姪の叔父に対する感情の変化。危機による感情の激化。個人的にこういう映画には派手な仕掛けがほしいのだけど、しかし、監督が己の信念に基づいて映画を撮っていることが確認できたので、まあ、観て損はしなかった。序盤で姪のチャーリーが必要以上に能天気に描かれていたのも、感情面でギャップを作るためだろうし。ただ、叔父がイニシャル入りの指輪を姪にプレゼントしたり、よせばいいのに未亡人を批判したり、その辺のほのめかしが雑すぎたと思う。もう少しスマートにやってほしかった。

それにしても、本作は脇役のキャラが立っていた。小さい背格好に似合わず大人びたことを言う読書家のアン。ニュートン家に来て父と殺人談義をするミステリおたくのハーブ。2人の人物像が面白すぎて、この映画にはもったいないような気がした。