海外文学読書録

書評と感想

ミゲル・デリーベス『エル・カミーノ(道)』(1950)

★★★★

スペインのどこかにある谷間の村。11歳になったミミズクダニエルが、父の命令で上級学校へ進学することになる。チーズ作り屋の父は、息子を立身出世させたかった。一方、ミミズクダニエルは悪ガキの牛糞ローケと親しく、彼と友情を育んでいる。ミミズクダニエルは、村人たちにまつわる様々なエピソードを思い出すのだった。

ミミズクダニエルは、とても今夜は眠れないな、と思った。追憶を振り切ろうとして振り切れなくなったダニエルの頭の中は、追憶で煮えたぎり、熱を帯び、休む暇もなく高ぶり続けた。悪いことには明日の朝、早起きして急行列車に乗らなければならない。急行に乗れば、否応なしにダニエルは町に運ばれて行ってしまう。これは避けられないことだ。ダニエルは自分の方から、昔のことや谷のことを思い出そうとしたわけではない。生のさざめき、村のひたむきな営みの日々の、細々とした思い出がよぎり、ダニエルを捕らえて放してくれないのは谷の方であった。(p.78)

子供に寄り添った視点から村社会を活写していて、非常に楽しい読み物だった。こういう誰も彼もが顔見知りの狭い世界って、自分では住みたいと思わないけど、フィクションで読むぶんにはたまらなくいい。人類に普遍的な何かがあると思う。大聖人ホセ、片腕キーノ、アメリカ成金ヘラルドなど、とにかく村人たちのキャラが立っていて、在りし日の風景を真空パックで閉じ込めたような懐かしさがある。

とりわけ、子供同士の関係が郷愁を誘う。主人公のミミズクダニエルは、ガキ大将の牛糞ローケ、鳥マニアのタムシヘルマンとつるんで、平和に遊んだりやんちゃに悪戯したりしている。面白いのは、3人の力関係が腕力によって決まっているところだ。いくら勉強ができても、あるいはいくら運動ができても、腕力によって決められた序列は揺るがない。彼らの間では男らしさが重視されていて、ことあるごとに勇気を見せる必要がある。女々しいと思われたら終わりなのだ。僕も子供の頃はそういう社会で日々をサバイブしていたので、「あー、これは田舎あるあるだね!」と共感しながら読んだ。他にも、猫のお腹を虫眼鏡で焼いたり、トンネルの中で汽車の通過に合わせて脱糞したり、子供らしい悪戯が作中に出てくるけれど、これなんかもスケールは違えど似たようなことは経験した。どうやら田舎ってどこも変わらないみたい。馬鹿がガキが馬鹿なことをしている。

村人でもっとも印象的だったのが、アメリカ成金ヘラルドだ。彼は外国で成功して大金持ちになって故郷に錦を飾ったのだけど、なぜこんな辺鄙な村に戻ってきたのかといったら、自分の地位や財産を故郷の人に見せつけてやりたい、昔貧乏だった人が依然として貧乏なのを見て幸せを味わいたい、そういう不純な動機があるのだろうとミミズクダニエルに喝破されている。もちろん、これはあくまで他者による推測なので、実際に当たっているかどうかは分からない。けれども、せっかく金があるのだったらもっと快適な土地に住むはずで、そういう動機もあり得ると思った。

タムシヘルマンの死によって、〈幼年時代は永遠〉という信仰が崩れるのがせつない。老いも若きもいずれは死んでしまう。幸せな時間はいつまでも続かないのだ。だからこそ、楽しかった思い出を真空パックにして残したい。本作はそれを果たした贅沢な作品と言えよう。