海外文学読書録

書評と感想

ユーディット・W・タシュラー『国語教師』(2013)

★★★

作家のクサヴァーと国語教師のマチルダが16年ぶりに再会する。2人はむかし恋仲にあったが、付き合って16年目にクサヴァーがマチルダを捨てたのだった。クサヴァーは大富豪の娘と結婚するも、息子を誘拐事件で失っている。再会したクサヴァーとマチルダは、お互いに物語を披露する。

「一番悲劇的なのはさ、どんな人間も、一度しか生きられないことだよ。僕には、それじゃあ一度も生きないのと同じことだって思えるな。若いころになんにも知らずに間違った道を選んで、歳を取ってから、人生をめちゃくちゃにしてしまったって気づく人間が、どれくらいいるか。まるで喜劇だ。悪い冗談だ。そう思わないか? さあ、俺はもうすぐ死ぬぞ、俺の人生はただのクソだった! なんてさ。どうしてそんなことになるんだと思う?」

「自分にとってなにが最善だったのかに気づくのは、残念ながら、たいていの場合、後になってからだからでしょ。それに、そういう知恵が身につくのは、だいたい歳を取ってからだから」(p.222)

ドイツ語圏のミステリ賞を受賞したそうだけど、あまりミステリっぽくなかった。物語はいくつかの謎を含ませつつも、家族や心理といった普遍的な事象を描いていて、どちらかというと文芸作品に近い。ミステリと呼ぶには人間がよく描けているのである。本作がミステリなら、『朗読者』【Amazon】もミステリではなかろうか。ともあれ、こういう小説があるからジャンル分けは難しい。純文学、ミステリ、SF。我々は商業的な理由で作品を既存の枠に押し込んでいる。

基本的にはクサヴァーとマチルダ、2人のやりとりが主体だけど、これがおそろしいくらいに軽快で、ページを捲る手が止まらなかった。ここまで読ませる小説もなかなかないと思う。クサヴァーとマチルダが披露する物語で少し停滞してしまうものの、しかしこれは相対的にそう感じるだけであって、この部分も並の文芸作品に比べたらページターナーである。短い章立てでぐいぐい読ませるのは、海外のエンタメ小説ではありがちだ。それだけ人間の集中力は短いのだろう。先行きの見えない複数のプロットを用意し、読者が飽きそうになるところで切り替えていく。読ませるために必要なのはこういうサービス精神なのだと思う。

ミステリ小説と呼ぶには思いのほか家族関係がよく描けていて、クサヴァーとマチルダの対照的な親子関係が印象に残った。クサヴァーは母と基本的には良好な関係を築くも、母は息子のことを家に縛ろうとしている。クサヴァーの母は「忠誠」をモチーフにして生きており、土地と家屋を子孫に受け継がせることを至上命令にしている。クサヴァーはその部分を嫌っていた。一方、マチルダと母の関係は最悪で、母は娘に様々な嫌がらせをしている。マチルダの母は「憎悪」をモチーフにして生きていた。さらに、家族についてはクサヴァーが祖父の物語を語っている。これがまた人生における選択の重みを示していて味わい深い。本作は複数の家族関係が重層的に語られ、ハーモーニーを奏でている。

全体的な筋運びはなかなか意外で、あの導入部からこのエンディングにたどり着くのか、という驚きがあった。ネタバレを避けるために詳細は省く。ただひとつ言っておくと、クサヴァーに生殖能力がなかったのは皮肉だ。本人にとってもマチルダにとっても、この部分は喜劇だと思う。