海外文学読書録

書評と感想

ハビエル・マリアス『白い心臓』(1998)

★★★

通訳官の「私」は、産まれる前に伯母のテレサを拳銃自殺で亡くしていた。テレサは当時「私」の父ランスと結婚しており、ランスは妻の死後、今度は彼女の妹ファナと結婚している。「私」はランスとファナとの間に産まれた子供だった。同じ通訳官のルイサと結婚した「私」は、紆余曲折を経て父の秘密を知る。

ランスの私への忠告はこうだった、囁くように言うのだった。

「ひとつだけ言っておきたい」父は続けた。「秘密がある場合、また、すでに持っているなら、しゃべるんじゃない」。そして、すぐに顔に微笑を蘇らせて付け加えた。「幸運を」(p.127)

スペイン文学というよりはフランス文学みたいだった。序盤は話の道筋が掴めなくてとっつきづらいものの、中盤からエピソードが繋がってきてそれなり興味を持たせるようになっている。とはいえ、「私」の父であるランスの婚姻関係がけっこう複雑で、未読の人にあらすじを説明するのが難しいことには変わりがない。僕も冒頭を読んだときは混乱してしまった。「私」は何でランスの妻を伯母と呼んでいるのだ? 話の時系列はどうなっているのだ? ランスは合計3人の女性と結婚していて、これが物語の鍵になるのだから油断できない。ミステリ小説みたいに登場人物一覧をつけてくれと思った。

本作の主題は〈秘密〉になるだろうか。実際、クライマックスはランスが自身の秘密を告白する場面だし、その際、上に引用した忠告がずしりと効いている。我々の実生活では秘密なんてそうそう明かしたりはしないけど、フィクションの場合はみんなぽろぽろ喋るのだから不思議だ。まあ、そうしないと話が回らないってことなのだろう(ミステリ小説で最後に犯人が自白するなんてその最たる例だ)。それに加えて、キリスト教が普及している西洋では、神父への告解が文化として根付いているから、秘密の吐露はわりと当たり前のことなのかもしれない。現代ではキリスト教が勢力を失ったとはいえ、告解の文化は脈々と受け継がれている。たとえば、アメリカでは知識階級が精神分析医にかかることが一般的になっていて、彼らは医者を相手に秘密を告白している。要するに、告解室が診察室に置き換わっただけなのだ。告白して重荷を下ろし、罪の赦しを得る。本作はそういったキリスト教文化の影響が見て取れる。

本作でもっとも印象に残っているのが第7章で、プラド美術館のベテラン警備員が展示品の絵画をライターで燃やそうとするエピソードが強烈だった。具体的には、レンブラントの絵画『アルテミシア』を燃やそうとしている。なぜそんな所業に出たのか動機が理解不能で、警備員は「あの太った女にはうんざりだ」「真珠をつけたそのでぶが気に入らん」とただただ怒りを表明しているだけ。最終的にはランスが型破りな方法で事を収めるものの、一連の騒動はこちらの思惑を越えていてなかなかシュールだった。これもある意味ではフィクションの魔術と言えるかもしれない。あり得そうにもないことをさもあり得るかのように書く。少なくとも僕は見事に混乱させられた。