海外文学読書録

書評と感想

イサベル・アジェンデ『エバ・ルーナのお話』(1990)

★★★★★

短編集。「二つの言葉」、「悪い娘」、「クラリーサ」、「ヒキガエルの口」、「トマス・バルガスの黄金」、「心に触れる音楽」、「恋人への贈り物」、「トスカ」、「ワリマイ」、「エステル・ルセ―ロ」、「無垢のマーリア」、「忘却の彼方」、「小さなハイデルベルク」、「判事の妻」、「北への道」、「宿泊客」、「人から尊敬される方法」、「終わりのない人生」、「つつましい奇跡」、「ある復讐」、「裏切られた愛の手紙」、「幻の宮殿」、「私たちは泥で作られている」の23編。

「お話をしてほしいんだ」と僕が言う。

「どんなのがいい?」

「まだ誰にも話したことのないのがいいな」(p.10)

『エバ・ルーナ』のスピンオフ。内容的には同作と深い繋がりがないので、本書から読んでも大丈夫だろう。全部で23編あるけれど、粒ぞろいの傑作ばかりで面白い。コンセプトとしてはラテンアメリカ千夜一夜物語といった感じで、豊富な愛の物語が楽しめる。頭から尻尾まで堪能した。

以下、各短編について。

「二つの言葉」。言葉を売って生計を立てている暁のベリーサ。そんな彼女が、大統領に立候補する男のために演説文を作成する。またその際、おまけとして二つの言葉を教えるのだった。作家やコピーライターみたいな売文業ではなく、薬売りみたいに言葉を売っているところがいい。彼女が売る言葉にはそれぞれ薬効がある。こういう現実から少しずれた浮遊感のある世界は大好きだ。

「悪い娘」。11歳のエレーナが、母が経営する下宿屋にやってきた男に惚れる。しかし、その男は母といい関係になっていた。エレーナは男の部屋に忍び込み……。これは切れ味鋭い短編じゃないかな。恋愛の力学というのは複雑で、その関係は時と共に移ろいゆく。寓話みたいな語り口に包まれた、非常にリアリティ溢れるお話。

「クラリーサ」。判事と結婚したクラリーサは貧しい生活を送りながらも、人々に対して善行を施していた。そんな彼女が死期を迎えるにあたって、自分の罪を告白する。キリスト教の聖人って派手な奇跡を起こす人というイメージだけど、本当の聖人はこういう市井の善人だよなあと思った。たとえ罪を犯したとしても、それを上回る善行をしているので、天国行きは間違いないのではないか。よく分からんけど。

ヒキガエルの口」。南半球の広漠とした土地。そこではエルメリンダという女性が男たちと共生している。あるとき、彼女が〈ヒキガエルの口〉というゲームをする。何というか、日本の芸者の宴会芸みたいだ。わかめ酒みたいな? 僕はそういう遊びをしたことがないので、ふーんという感じだ。それにしても、男にとって娼婦は聖女みたいな存在だよね。

「トマス・バルガスの黄金」。黄金を安全な場所に隠しているトマス・バルガス。彼は女性問題が出来した後、中尉と全財産を賭けた大博打をする。銀行に金を預けていたら政権が倒れて紙切れになる。発展途上国ではよくあることだ。では、タンス預金は安全なのか? こうなることは予想できたけど、しかしまあ虚しいよなあ。たかだか金のために命を落とすなんて。

「心に触れる音楽」。やくざ者のアマデオ・ペラルタが、美しい音楽を奏でる少女と出会う。ペラルタは彼女を47年間監禁して囲うのだった。状況だけ見れば残酷に見えるけれど、お互いが納得しての関係なので、これはこれで立派な愛の形だなと思った。ペラルタが最後、牢屋に入れられるのが何とも言えない。

「恋人への贈り物」。父からサーカス事業を引き継いだオラシオが、パトリシアという宝石商の妻に心を惹かれる。オラシオは彼女と何とか話がしたかったが……。スティーヴン・ミルハウザーラテンアメリカ風に味付けしたような感じかな。要はサーカスが重要な役割を果たしてるってこと。ラストシーンがとてもいい。

「トスカ」。建設業のエッツィオと結婚したマウリツィアが、医学生のレオナルドに恋をする。話し合いの末、マウリツィアは夫と息子を残してレオナルドの元へ去っていく。そして、時は流れ……。これはとんでもない傑作では。人生というのはままならないもので、本当に自分を愛してくれたのが誰なのか気づかない。そして、気づいたときにはもう遅いという……。ああ、何てせつない話だろう。

「ワリマイ」。密林の原住民ワリマイが、移住してきた白人に捕まって働かされることに。彼は小屋に閉じ込められていた女を殺して逃亡する。ストーリーというよりはナラティブといった感じで面白かった。原住民の視点で物事を見るのはとても新鮮だ。女との奇妙な関係も原住民ならでは。

エステル・ルセ―ロ」。革命の英雄にして医師のアンヘル・サンチェスが、少女エステル・ルセ―ロに恋をする。しかし、年齢差があるために見守っているだけだった。ある日、エステルが瀕死の重傷を負って担架で運ばれてくる。未開の地域ならでは土俗的・呪術的な要素もさることながら、アンヘルのストイックな態度にぐっとくる。ラスト一段落は「あー」って感じだった。片思いは美しい。

「無垢のマーリア」。数々の伝説に彩られた娼婦マーリアが服毒自殺する。彼女は子供の頃の列車事故によって知恵遅れになり、長じてからは愛を求めるようになった。無垢って何なのかと言ったら、余計な知恵をつけないことだろうなあと思った。たとえば、学校で高等教育を受けたらもう無垢ではなくなってしまう。でも、無垢のままでは生き馬の目を抜くこの社会を渡っていけない。マーリアは人に恵まれたと思う。

「忘却の彼方」。異国で愛し合う亡命者の男女。男が凄惨な過去を思い出す。独裁者が支配していたラテンアメリカ諸国では、こういう残酷なことが平然と行われていたわけだ。そして、悲しみを分かち合うことで、人は分かり合える。本書全体に言えることだけど、小説として終わり方がすごくいい。

「小さなハイデルベルク」。長年ペアを組んで踊ってきた船長とラ・ニーニャ・エロイーサ。2人は息の合ったダンスをしていたが、これまで一度も口をきいたことがなかった。これはロマンティックな話だった。口をきかなかったのはこういう理由だったのかという驚きと、40年に及ぶ船長の片思いがダブルパンチで直撃してくる。

「判事の妻」。娼婦を母に持つニコラス・ビダルは、徒党を組んで悪事を働いていた。そんな彼を判事が罠にかけようとする。冒頭でニコラスの運命が予告されていたのでどうなることやらと思ったら、これまた捻れた愛の物語だった。我ながら変なたとえだとは思うけど、ニコラスの最後はまるで腹上死みたい。これなら悔いはないのでは。

「北への道」。クラベーレスと祖父のヘスースが、自分たちの村から38日かけて首都にたどり着く。彼女らは社会福祉局に用があった。これは予想もつかないとんでもないオチだった。障害を負った子供のためにせっかく苦渋の決断をくだしたのに、まさかこんなことが……。インパクトが強い。

「宿泊客」。引退した元教師のイネス先生が、リアド・アラビーの元にやってくる。彼女は宿泊客を殺したのだった。「辺境」*1の小説を読んで驚くのが、「目には目を、歯には歯を」という考え方が今でも根付いているところだ。法よりもまず私刑が優先される。それにしても、殺人の隠蔽がこんな後味すっきりの物語になるとは思わなかった。

「人から尊敬される方法」。詐欺や安売りによって大金持ちになったトーロ夫妻。妻のアビゲイル社交界で尊敬を勝ち取りたかったが、名家の人たちは彼女を認めなかった。そんなあるとき、誘拐事件が起きる。世の中には金で買えるものと買えないものがあって、一般的に尊敬とは後者に分類されるものだろう。けれども、これって結果的には金で尊敬を買ってるよね。愛と金の複合技。

「終わりのない人生」。医者のロベルトと妻のアナ。2人は大戦時に迫害から逃れるべくヨーロッパから亡命してきたのだった。医者になったロベルトは、安楽死やら何やらの言説によって有名になる。本作のラストはよくある心中事件みたいだと思った。一緒に死のうと決意し、まず相手を殺す。ところが、自分は死ねない。こういうのは万国共通だろうか。

「つつましい奇跡」。神父のミゲルが盲目になる。彼は敵対する信仰をもった病院に連れて行かれ、医者から「奇跡でも起きない限り視力は回復しない」と言われる。キリスト教を支えるのがこの奇跡ってやつで、様々な作家が奇跡をテーマにした作品を書いている。科学技術を越えた存在、それが奇跡なんだな。信仰が失われた現代においても、まだまだこの手の話は尽きない。

「ある復讐」。議員がタデオ・セスペーデス率いる武装勢力に殺害される。議員の娘ドゥルセ・ローサは復讐を誓う。一方、タデオはドゥルセ・ローサのことが忘れられなかった。数十年してから罪を償いに行く。この場合、相手の記憶に残ることが最大の復讐なのだろうか。人はよく、優雅な生活が最高の復讐と説くけれど。しかし、愛したのなら何も死ぬことはない。

「裏切られた愛の手紙」。両親が死んで修道女学院に送られたアナリーア。どうやら叔父はアナリーアが相続した土地を欲しがっていた。そんななか、アナリーアは叔父の息子と文通する。まあ、この手の話はよくあるよね。2年もやりとりしてたらすぐに分かってしまう。今だったらネットのオフ会でこういうのあるかも?

「幻の宮殿」。独裁者が外国大使の妻マルシアに惚れて彼女を拉致し、自分の地所に匿う。独裁者はマルシアを喜ばせるべく宮殿に連れていく。インディオが妖精みたいに陰から窺う、みたいなシチュエーションは南米ならでは。あと、本作は南米によくある独裁者小説だね。お国柄が出ている。

「私たちは泥で作られている」。ジャーナリストのロルフ・カルレが、顔だけ残して泥に埋まった小さな女の子を助けようとする。他人との対話というのは、他人を理解するのと同時に、自分を理解することでもある。ロルフは女の子と対話することによって、ある出来事に思い出す。しかしこれ、助からなかったのかなあ。物語としては幽玄だと思うけど。

*1:あくまで文学における便宜上の分類で、英米を中心としたメジャーに対する括弧付きの「辺境」。