海外文学読書録

書評と感想

レティシア・コロンバニ『三つ編み』(2017)

三つ編み

三つ編み

 

★★★★

(1) インド。不可触民のスミタは、素手で糞便を汲み取る仕事をしていた。彼女は不条理の連鎖を断ち切るべく、娘を学校に行かせようとする。(2) イタリア。ジュリアの家族は毛髪加工会社を経営しており、彼女は高校を中退してそこの作業場で働いていた。男よりも本が好きなジュリアだったが、父親の事故によって状況が変わる。(3) カナダ。シングルマザーの弁護士サラは、仕事が忙しくて子供たちと一緒に過ごせていなかった。優秀な彼女は組織のトップに上り詰めようとしていたが……。

ふいにスミタは血の池を思い浮かべる。バラモン階級を擁護するため、ヴィシュヌ神クシャトリヤの血で満たした五つの池。学者も神官も、人間のいちばん上の階級にあるのがバラモンだ。ラリータなどいじめてどうするのか? 娘は無害で、彼らの知識も地位も脅かしはしないのに、なぜ、こんなふうにわざわざ恥をかかせるのか? なぜ、ほかの子供と同じように読み書きを教えてくれないのか?(p.70)

インドでは主人公が女性差別に苦しみ、イタリアでは別の主人公が望まない結婚に直面、カナダではまた別の主人公が病気によって転落の危機にある。このように女性に降りかかる不条理をそれぞれのレイヤーで語りつつ、それら3つをラストで上手く繋ぎ合わせていて、素朴でありながらもなかなか技巧的な小説だった。訳者あとがきにある通り、本作では髪の毛が女性性の象徴として使われているけれども、その使い方がまた絶妙なのだ。インドではスミタが髪の毛を捧げることで、社会によって傷つけられた女性性を回復させる。一方、カナダではサラが髪の毛を受け取ることで、闘病によって損なわれた女性性を回復させる。そして、イタリアのジュリアはそれを仲介するポジションだ。一見すると何の関係もなさそうな物語を髪の毛で結びつける。3つの束を寄せ集めて見事な三つ編みを編んでみせる。その手腕にいたく感動してしまった。

3人のなかで一番酷い境遇にあるのが、インドのスミタだろう。不可触民の彼女は、素手で糞便を汲み取る仕事を強いられている。社会がカースト制度に支配されているため、職業選択の自由はない。仮にそこから抜け出そうとしたら、周囲の男たちに強姦されてしまう。こんな地域が未だに存在するなんて呆れるほかないのだけど、読んでいてすごいと思ったのは、スミタがそんな環境に屈服していないところだった。奴隷みたいな扱いを受けているにもかかわらず、奴隷根性に染まっていない。むしろ、そこから抜け出そうとリスクを負って行動している。だいたい不幸な人って、自分の境遇を嘆いてばかりで何もしないって人が多いから、こういう不屈の意志をもった人間には好感が持てる。「天は自ら助くる者を助く」という諺もあるくらいだし、やはり行動することが重要なのだ。生きるというのは能動的な行為であって、僕もその辺を意識して生活しようと思った。

カナダで弁護士をしているサラは、ガラスの天井を打ち破った人物である。その彼女が男の嫉妬に晒されるわけだけど、個人的に思いを馳せたのは日本のある事件だった。すなわち、2018年に起きた医学部不正入試問題である。入試の際、東京医科大学が女子に対して一律減点をしていたことが明るみになり、社会を大いに騒がせた。日本におけるガラスの天井を象徴した事件と言えるだろう。女医は外科をやりたがらないから仕方なく切り捨てた、そんな理屈で不正が行われていたのだ。この事件については様々な見解があるようだけど、やはり裏で成績を操作していたのは明らかに悪いことなので、外科医が欲しいのだったら何か別の解決策が必要だと思う。

というわけで、本作を読んで様々なガラスの天井について考えさせられた。