海外文学読書録

書評と感想

ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(2016)

★★★

白いものについて書こうと決めた「私」。不慣れな外国の首都に滞在する「私」は、生きられなかった姉、生後2時間で死んだ姉に思いを馳せつつ、雪や角砂糖や白夜など、白いものについて断章形式で綴っていく。

今、あなたに、私が白いものをあげるから。

 

汚されても、汚されてもなお、白いものを。

ただ白くあるだけのものを、あなたに託す。

 

私はもう、自分に尋ねない。

 

この生をあなたに差しだして悔いはないかと。(pp.48-49)

断章形式で綴られた散文詩ってところだろうか、こういう文章を説明するのはなかなか難しい。それはつまり、詩の良さを説明するのと同じだからだ。感性が著しく鈍磨している僕には、詩を語るための語彙がない。絶望的にない。このブログで詩を取り上げないのもそれが理由で、実は陰でこっそり詩集は読んでいたりする(何だか文学青年っぽいな!)。とりあえず、本作は全186頁を1時間以内で読み終えた。

村上春樹風の歌を聴け』【Amazon】に、「結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。」という文章があるけれど、本作もそういう要素があると思う。赤ん坊の頃に死んだ姉というのが作品全体を覆っていて、もしその姉が無事に成長していたら、今度は自分が産まれることがなかった。死んだものと生きているもの。そういう対比の狭間に、自分の運命的な生が存在していて、なかなか一筋縄ではいかない。姉の命の犠牲のうえに自分の命が乗っかっているわけだ。この極めて厄介な状況を踏まえて、「自己療養へのささやかな試み」を実行している……。これが当たっているかどうかは分からないし、勝手に忖度してごめんなさいって感じだけど、まあ、文学というのは自由に読んでいいものだからね。僕のなかではそういうことにしておく。

本書は造りがなかなか凝っていて、全部で5種類の紙が使われている。それぞれ色と質感が微妙に異なっており、読み手の印象を物理的なレベルで変えている。これは持論だけど、読書というのは視覚だけで行っているのではない。紙の肌触りや頁を捲くる手応えなど、触覚が重要な役割を担っている。だから電子書籍では行為としての読書を完全には再現できないのだ。それは読書に似た別の何かである。これって我ながら保守的な見解だと思うけど、現時点ではそういう考えなので、また何かのきっかけで宗旨替えするかもしれない。とりあえず、今は電子書籍で読むことについて疑念を持っているということで。