海外文学読書録

書評と感想

パク・ミンギュ『カステラ』(2005)

★★★★

短編集。「カステラ」、「ありがとう、さすがタヌキだね」、「そうですか? キリンです」、「どうしよう、マンボウじゃん」、「あーんしてみて、ペリカンさん」、「ヤクルトおばさん」、「コリアン・スタンダーズ」、「ダイオウイカの逆襲」、「ヘッドロック」、「甲乙考試院 滞在記」、「朝の門」の11編。

地球の年齢はだいたい四十五億年である。人類の年齢は三百万年で、僕は二十歳である。誰が何と言っても、世代差は生じるしかない。それに比べたら、資本主義の年齢はせいぜい四百年にすぎない。僕はどうしたってこっちのほうが気楽だった。言葉と心が通じ、何より食べたり飲んだりするもの、着るものなど似ている。つまりそんなわけで、僕は地球や人類よりは資本主義と共に生きてきたといえるのだ。僕らは共に老いていく。あなたならきっと、僕の言っていることがわかるだろう。(pp.97-98)

現実と超現実が同居する独特の世界観を軽妙な語り口で作り上げている。なので、通常のリアリズム小説に飽きた人にお勧め。文学とは自由なのだということが分かる。あと、これから韓国文学を読もうという人には入門書としていいかも。翻訳がとても読みやすい。

以下、各短編について。

「カステラ」。「僕」は自宅の冷蔵庫を前世でフーリガンだったと思っている。その冷蔵庫は騒音が酷かった。「僕」が冷蔵庫の効果的な使い方を人から聞いたとき、世界は一変する。途中から超現実的な状況に突入していってとても面白かった。冷蔵庫の中におやじとか、大学とか、挙げ句の果てには中国なんてものも入れている。一見すると手当たり次第に思えるけど、実は明確な原則に沿っていて、大切なものと世の中に害悪を及ぼすものだけ入れてるという。このとぼけた感じがたまらないうえ、意外な転回をしたラストがなかなかエモい。一読してこの小説の虜になった。

「ありがとう、さすがタヌキだね」。インターン社員の「僕」は、7人の競争者と共に仕事をしている。この中から正社員に採用されるのは1人だけ。「僕」は班長に頼まれてPCにエミュレータをインストール、班長はそれでタヌキのゲームをする。本作にも超現実的な要素が出てくるけれど、これは壮大な現実逃避みたいな感じで、いくばくかの悲しみがある。男色家の部長にサウナに連れ込まれて、性的なナニをされるのはきつい。学生から社会人になるときのつらさは、日本も韓国も変わらないみたいだ。

「そうですか? キリンです」。高校生の「僕」は夏休みにガソリンスタンドとコンビニでバイトをしていた。「僕」のおやじは稼ぎが悪く、一家は経済的に恵まれていない。そんなとき、コーチ兄貴からプッシュマンの仕事を紹介される。読んでいて、日本の「失われた20年」を思い出してしまった。「僕」は高校生にして「自分だけの算数」を身に着け、バイトをしてお金を貯め始める。状況としてはかなり世知辛いのだけど、不思議と雰囲気は重々しくない。それが本作のいいところだ。

「どうしよう、マンボウじゃん」。カナダに早期留学していたデュランが帰国した。「僕」とデュランは色々あってマンボウホテルへ行き、遂には宇宙へと旅立つ。地球は平面だった。というか、巨大なマンボウだった。これは今までの短編よりもシュール度が高くて、何と言えばいいのかよく分からない。世界がしょうもないから外出するという発想は、同じ著者の『ピンポン』に通じるかも。

「あーんしてみて、ペリカンさん」。遊園地とは名ばかりの「貯水池」で働いている「僕」は、そこでスワンボートの係をしていた。あるとき、スマートな身なりをした中年男性がやって来てボート内で自殺する。彼は倒産した中小企業の経営者だった。この頃の韓国は不景気だったみたいで、語り手の「僕」は73社に履歴書を送ってどこからも連絡がなかった過去を持つ。まるで日本のロスジェネみたいだ。本作の全体をこの不景気が覆っているのだけど、例によってそこはあまり重苦しくなく、スワンボート世界市民連合の存在がとぼけた味わいを出している。

「ヤクルトおばさん」。『お笑い経済学辞典』を読んでいる「僕」は、15日間便が出なかった。「僕」は病院の大腸肛門科に通うことに。アダム・スミスドードー鳥が論じられる冒頭から引き込まれた。なぜそこでドードー鳥の話題? って不意を突かれたので。その後、ビンス・タトゥーロという架空のブルース・ミュージシャンが出てくるくだりはアメリカ文学を彷彿とさせる法螺話で、物語は予測不可能な進路を辿る。韓国にもヤクルトおばさんがいたのは意外だったね*1

「コリアン・スタンダーズ」。会社員の「僕」は妻子持ちの40歳。「僕」は学生運動で名を馳せたキハ先輩から連絡を受け、彼の住む農村へ赴く。キハ先輩によると、宇宙人の襲撃を受けているという。今までの短編では若者に焦点が当てられていたけど、今回は中年男性が語り手をしている。政界からの誘いを振り切って農民運動に身を投じたキハ先輩には好感が持てる。それにしても、円盤が出てくるのはシュールだなあ。人間、歳をとったら規格品になる。

「ダイオウイカの逆襲」。「僕」は子供の頃、少年向け雑誌でダイオウイカの存在を知る。「僕」はダイオウイカから人類を守ることを誓うのだった。21年後、空軍の戦闘機パイロットになった「僕」はダイオウイカに遭遇する。相変わらず、登場人物のちょっとズレた感じがいい。特に学校の先生。韓国ってダイオウイカよりも北朝鮮のほうがやべーだろって思ったけど、そういえばこの短編集には北朝鮮の北の字も出てこなかった。というか、もうダイオウイカ北朝鮮でいいや。

ヘッドロック」。アメリカに留学していたときのこと。「僕」は道でハルク・ホーガンと出会う。彼にヘッドロックをかけられた「僕」は、右脳と左脳が分離して幻覚を見るのだった。これはまたへんてこな話で、覚醒した「僕」が体を鍛えて見知らぬ人たちを襲撃してヘッドロックをかけまくる展開が何とも言えない。そして、9年後にもヘッドロックがつきまとう。まさにヘッドロック尽くし。

「甲乙考試院 滞在記」。1991年春。父の会社が不渡りを出して経済的に苦しくなった「僕」は、格安で住める甲乙考試院に入居する。そこは本来、受験者向けの住居施設だったが、今では日雇い労働者や風俗店の従業員がアパートとして使っていた。入居者の部屋は厚さ1センチのベニヤ板で仕切られているだけのようで、これじゃあレオパレスより酷いだろと思った。物語は色々あったけど、最後は温かく締めている。途中から入居してくるキム検事が印象的で、『キテレツ大百科』【Amazon】の勉三さんを連想した。

「朝の門」。本作については、段々と状況が明らかになる序盤が面白いのであらすじは書かない。例のあれが出てきたときは「あっ」と驚いた。本作は今までとは違ったシリアスな作風になっていて、著者はこういう正統派な短編も書けるのかと意外に思った。題材は万国共通の事柄を扱っていて、日本人の僕でも身近に感じる。

*1:Wikipediaによると、ヤクルトレディーは中国やインドネシアなどのアジア地域や、ブラジルなどの南アメリカ地域で販売、普及活動を行っているという。