海外文学読書録

書評と感想

マリオ・バルガス=リョサ『アンデスのリトゥーマ』(1993)

★★★★

ペルー。治安警備隊の伍長リトゥーマは、助手のトマスと共にアンデスの山中にある鉱山町ナッコスに駐屯していた。そこで3人の男が行方不明になる。彼らはテロリストに殺されたのか? それとも民兵として徴兵されたのか? あるいは誘拐されたのか? 捜索に着手しつつ、トマスの恋物語が語られる。

「今ペルーで起こっていることは」もの思いにふけっていた金髪の技師が自分に語りかけるようにつぶやいた。「これまで溜め込まれてきた暴力が一気に噴出してきた、そんな感じがするんだ。どこかにこっそり貯えられていた暴力が、何かのきっかけで突然堰を切ったようにあふれ出したんじゃないかと思うんだ」(p.199)

これは面白かった。失踪人を捜索する探偵小説のような形式、異なる2つの語りを撚り合わせる文学的技法、革命と迷信が吹き荒れるペルーの土俗的な雰囲気。これら3つが渾然一体となって読む者を否応なく引き込んでいく。本作を読んで確信したが、文学というのはエンターテイメントときっちり分けられるものではなく、広い意味で「娯楽」の一種だと思った。要は鑑賞のポイントが違うだけってこと。たとえば、文学とミステリの場合、普通ならジャンルに応じて頭を切り替えて読む。それぞれにコンテクストなりクリシェなりがあるから、同じような読み方は出来ない。そして、この2つは鑑賞方法が違うだけであって、テクストを味わうという意味ではどちらも「娯楽」に分類される。そんなわけで、狭いジャンルで優劣をつけるのは馬鹿らしいと思った。文学だろうがエンタメだろうが、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない。ただそれだけのことだろう。

本作の魅力は何と言っても前時代的なペルーの雰囲気である。舞台となる山岳地帯では、土くれ(テルーコ)と呼ばれるテロ集団が跋扈し、インディオの時代から伝わる迷信が民衆の間に流布している。国家が隅々まで治安を確保できていないところは、まるでアメリカの西部開拓時代のようで、本当にこれは20世紀後半の話かと思った。文学には辺境という概念があるが、本作なんかはまさに辺境そのもので、先進国に住む僕にとってはかなり衝撃的である。共産主義に染まったテロ集団が、同性愛者やら放蕩者やらを人民裁判にかけてなぶり殺しにするなんて、いつの時代のどこの話だよって思うし。さらに、事件の真相もまあカルチャーショックを受けるようなもので、地球にはまだこんな地域が残されていたのかと感心した。ペルー恐るべし、ラテンアメリカ恐るべしである。

本作は語りの技法も見逃せない。主にトマスが回想する場面で使われるのだが、過去の出来事を語っている最中に、現在の時制が切れ目なしで割り込んでいて、この部分は一読に値する。アニメで言えば『千年女優』【Amazon*1みたいな語りでなかなか刺激的だった。これを発明したのが誰だか気になるところだが、バルガス=リョサフローベールに傾倒していたようなので、そこら辺がインスピレーションの元になっているのかもしれない。いずれにせよ、この語りは文学を読む醍醐味を味わわせてくれた。

エピローグの明るさも特筆すべきだろう。事件の真相はグロテスクとはいえ、念入りに語られてきたトマスの恋物語が上手く着地していて、探偵小説の大団円みたいになっている。総じて引き込まれる読書だったし、終わり方も良かった。久々に清々しい気持ちで本を閉じることができた。

*1:このアニメも技術的に興味深いので、映画好きは観るべきである。個人的には5つ星の傑作だった。