海外文学読書録

書評と感想

リュドミラ・ウリツカヤ『女が嘘をつくとき』(2008)

女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

女が嘘をつくとき (新潮クレスト・ブックス)

 

★★★

連作短編集。「ディアナ」、「ユーラ兄さん」、「筋書きの終わり」、「自然現象」、「幸せなケース」、「生きる術」の6編。

女のたわいない嘘と男の大がかりな虚言とを同列に並べて考えることは、はたしてできるだろうか。男たちは太古の昔から謀めいた建設的な嘘をついてきた。カインの言葉がそのいい例だろう。ところが、女たちのつく嘘ときたら、何の意味も企みもないどころか、何の得にさえならない。(p.5)

ジェーニャという子持ちのキャリアウーマンを軸に、彼女と関わる女性たちの嘘に焦点を当てている。どちらかというとジェーニャは読者に近い受け身の立場だろうか(ただし、ラストの「生きる術」は彼女が主体)。東野圭吾のミステリ小説に『嘘をもうひとつだけ』【Amazon】というのがあるけど、ミステリと文学で嘘というテーマをそれぞれどう料理しているか、読み比べてみると面白いかもしれない。

現代はSNSで容易に嘘がつけるので、本作は現代人の感性とマッチしていると言える。見栄を張るためにハッタリをかましたり、身バレしないためにフェイクを入れたり。実生活ではリスクが大きくてなかなか嘘はつけないけど、ネットなら嘘をついても真実はそうそう暴かれない。

以下、各短編について。

「ディアナ」。アイリーンは初対面のジェーニャに対し、饒舌に自分語りをして「この人、すごい経歴の持ち主なのね」と感心させる。アイリーンはイギリス出身のロシア人スパイの娘であり、子供2人を亡くしており、何か凄そうな人と付き合っていた。けれども、彼女を知る人によると、実はすべてが嘘だったという。なぜこんな嘘をついたのか僕には分からないけど、しかし現実にも初対面の人間を担ごうとする人ってけっこういる。たとえば飲み屋なんかに。それにしても、これはなかなか豪快だった。

「ユーラ兄さん」。10歳の少女ナージャは嘘つきというよりは法螺吹きに近いと思われていて、ジェーニャは彼女のことを「ナージャは頭に浮かぶことをそのまま口にだしているだけ」と評している。ところが、2つの嘘に関しては話を盛ったり、認識の違いだったりで、まったくの嘘ではなかった。唯一の完全な嘘がユーラ兄さんのことだという。これはなかなか哀愁があったかな。『赤毛のアン』【Amazon】的な想像力。

「筋書きの終わり」。ジェーニャの親戚に13歳のリャーリャという少女がいて、彼女によると画家の男性と関係しているという。それを聞いたジェーニャは画家を問い詰めに行く。今回はありきたりなすれ違いが見所かな。男の13歳と女の13歳はまるで勝手が違うというのはその通りだと思った。13歳の少女ならおっさんと本当に関係していてもおかしくない。

「自然現象」。高校生のマーシャが、年金生活をしている元文学部教授の老女と出会う。マーシャは彼女から文学について教育を受け、ついでに老女が自作したという詩もいくつか紹介される。ジェーニャによればその老女は不遇な野心家だったそうで、こういう盗作をするのもよく分かると思った。なまじ見る目があるだけに自分の詩だと偽ってしまう。人間とは悲しい生き物だね。

「幸せなケース」。ジェーニャとスタッフが映像の仕事でスイスへ。当地で商売女として働くロシア人女性たちを取材する。これは日本もそうだけど、やはり商売女の生い立ちなんて尋ねるものじゃないな。みんな不幸な生い立ちに決まってるんだし。どんなに飾っていても、ベールを捲ってみれば暗闇が広がっている。

「生きる術」。これは今までと打って変わってジェーニャが主体。幼馴染のリーリャは薬剤師をしていたけど、脳卒中で体が不自由になってしまう。何かと世話を焼くジェーニャだったが、彼女は彼女で……という筋。宗教が深く絡んでいていかにも海外文学らしかった。キリスト教ユダヤ教イスラム教と色々出てくる。