海外文学読書録

書評と感想

レアード・ハント『優しい鬼』(2012)

優しい鬼

優しい鬼

 

★★★★

インディアナ州に住む14歳のジニーが、親戚のライナス・ランカスターの口車に乗って彼と結婚、ケンタッキー州シャーロット郡にある「楽園」に移住する。ライナスは独裁的な人物であり、奴隷だけでなく妻のジニーにも暴力を振るって従わせていた。ところが、そんな生活に変化が訪れる。

むかしわたしは鬼たちの住む場所にくらしていた。わたしも鬼のひとりだった。わたしはいまは年よりでそのころは若かったけれど、じつはそんなにすごくまえの話ではなく、単にわたしにはめていた枷を時が手にとってねじっただけのこと。いまわたしはインディアナで生きている――この家でわたしがすごす日々を生きると言えるなら。これなら足が不自由でろくにうごけなくてもおなじこと。よたよたと地をあゆむ生き物。ある晴ればれとあかるい朝わたしはケンタッキーにいた。なにもかもおぼえている。わたしはもうすでにこのジゴクの輪にじぶんの旗を立てた。ここの住民たちはなにひとつ忘れない。(p.19)

イノセントな語り口でぞっとするような出来事を語っていて、なかなか味わい深い小説だった。本作は同じ奴隷制度下を舞台にした『地図になかった世界』を参考にしているようで、世界は善悪を超越してあるがままに存在しているのだという冷徹さを感じさせる。だいたいこの時代が舞台だと、奴隷制度に対して批判的な色彩になってしまうからね。人間の営みを善悪抜きに公平に眺めた小説ってなかなか珍しいのではなかろうか。しかも、イノセントな語り口が作品をフェアリーテイルにまで昇華している。著者の小説はこれで邦訳されているぶんすべて読んだけれど、本作は『インディアナインディアナ』【Amazon】の次に気に入った。

構成としては、ひとつの大きな物語というよりも、比較的短い区切りのエピソード集みたいな趣きだ。特に心に残っているのが、ジニーの両親がインディアナ州から馬車で5日かけて「楽園」にやってきたときのエピソード。ジニーの父親は実際に現地を見ることで、ライナスが娘を奪うために嘘を吐いていたことを知る。豪華な屋敷なんて影も形も存在しないことを知る。けれども、そこは表立って非難しない。1週間滞在していざ帰るというとき、父はジニーに一緒に帰るよう耳打ちする。ところが、ジニーはそれを断ってしまう。以後、ジニーは両親と2度と会うことはなかったというのがせつなかった。

途中からは家庭内の権力関係が逆転してジニーが酷い目に遭わされる。この辺は語り口のせいか、白昼夢みたいな独特の肌触りだった。起きていることはいつ終わるか分からない悪夢的シチュエーションなのに、そこは語り口で脱臭されていて、善悪を超越したあるがままの出来事として語られている。我々が住む世界には勧善懲悪なんてないし、人間は暴力の前には為す術がない。そこには国が定めた法や秩序から離れた丸裸の世界がある。こういう雰囲気はなかなか味わえないので貴重かもしれない。

本作は白人女性であるジニーのほかに、黒人女性も語り手を務めている。訳者あとがきによると、アメリカでは「白人男性作家がマイノリティの人物を語り手に起用することはほとんどタブーに近い」という。これを読んで、少し前にニュースで目にした「文化の盗用(cultural appropriation)」を思い出した。白人が日本の着物を来たら文化の盗用だと非難された事件である。正直、僕にはまったく意味が分からなかった。どこが問題なのか見当もつかなかった。アメリカは人権意識が高すぎるがゆえに時々こういう頓珍漢なことをやらかす。彼らには「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉を教えてやりたい。