海外文学読書録

書評と感想

ポール・オースター『インヴィジブル』(2009)

★★★★

1967年。ユダヤ人の大学生アダム・ウォーカーが、国際情勢研究所の客員教授ルドルフ・ボルンと出会う。ボルンはウォーカーに、資金を提供するから雑誌を作ってそれで生計を立てるよう提案する。さらに、ボルンは自分と同棲している女マルゴと寝るようウォーカーにけしかけるのだった。やがてある事件が起きて……。

君たちは二人ともトルストイドストエフスキーを、ホーソーンメルヴィルを、フロベールスタンダールを愛するが、この時点では君がヘンリー・ジェームズに耐えられないのに対し、グウェインはジェームズこそ巨人のなかの巨人だ、ジェームズの前ではほかの小説家はみなこびとみたいなものだと主張する。カフカベケットについては完全に意見が一致するが、セリーヌも同じ次元に属すと君が言うと彼女はあざ笑い、あんなのはファシストの狂信者だと断じる。(p.115)

これは面白かった。ボルンの申し出があまりに突拍子もないので、ジョン・ファウルズの『魔術師』【Amazon*1みたいな企みがあるのかと思ったら、実は小説の構造そのものに企みがあった。作中では殺人や近親相姦といったショッキングな出来事が語られるのだけど、その真実性を揺さぶるところはいかにも現代文学という感じがする。このブログで何度も書いている通り、現代の作家はとにかく一筋縄では語らない。何らかの工夫を凝らすなり、捻りを入れるなりしてくる。Aという物語に外枠を作って、実はそのAは信用できないのだと示す手法は、『ギデオン・マック牧師の数奇な生涯』でも使われていた。しかし、同じやり口でも本作のほうが一枚上手で面白い。というのも、『ギデオン・マック~』はいくぶん取ってつけた感があったので……。その点、本作は用意周到というか技巧的というか、とにかく興味の引き方が上手かった。アダム・ウォーカーもルドルフ・ボルンも、そして外枠にいる作家も実は……という部分は、架空のオートフィクションみたいで個人的にもっとも気に入った箇所だ。ここまで来ると、どこまでが真実でどこからが虚構なのか気になるし、もし虚構だとしたらなぜそんな嘘をでっちあげたのか気になる。気にしちゃ負けなんだろうけど気になる。そんなわけで、作者の術中に見事にはまってしまった。

いわゆる「信頼できない語り手」をやるに当たって、前述のように外枠を作るのはスマートではないだろう。読んでいる途中はそう思っていた。カズオ・イシグロの『日の名残り』【Amazon】みたいに、それとなく分からせるのが至芸だろう。読んでいる途中はそう思っていた。けれども、読み終わってみるとそういう思い込みが覆されたので、自分の小説観が広がったような気がした。小説に限らず、本というのは読めば読むほど経験値が得られて世界が拓けてくる。そのことを実感したので、これからも色々な本をたくさん読んでいきたい。

地の文と会話文が溶け合った文章は、英語の原文で読むより日本語訳で読んだほうが遥かに分かりやすいと思う。日本語だと一人称で男女の区別がつくし、会話も男口調と女口調で色分けしやすい。敬語もあるから上下関係や距離感なんかもすんなり理解できる。だから文章が入り組んでいても誰が話しているのか判別しやすい。訳者の柴田元幸もそこを意識していたのではなかろうか。こういう小説を日本語で読めるのは幸せなことだと思う。

*1:この小説は傑作だ。個人的にはオールタイム・ベスト10に入る。