海外文学読書録

書評と感想

李昂『海峡を渡る幽霊』(2018)

★★★

日本オリジナル編集の短編集。「色陽」、「西蓮」、「水麗」、「セクシードール」、「花嫁の死化粧」、「谷の幽霊」、「海峡を渡る幽霊」、「国宴」の8編。

女性作家はエレベーターを降りると、行き先の部屋番号を見ても左右どちらに行ったらよいかわからず、少し迷ったが、やはり左に進むことにした。彼女にはなおもこんな発想が残っていたのだ――右といえば右派で、統治者で、保守、強権で……。

あの日を前にして、彼女は左に進むことに決めたのだ。

しかしそれは間違いで、左に進むにつれ番号は次第に若くなったので、彼女はすぐに戻ることにして、エレベーターを通り過ぎ、長い廊下の端まで行き着くと、何とその先では再び廊下が交差していたが、今回は彼女は迷うことなく右折した。

しかしまたもや間違っており、再び戻ることにして、廊下の端まで進むと、ようやくお目当ての部屋番号を探し当てたのだ。(p.70) 

本書を読んで、現代に生きる台湾人の政治的立ち位置が分かったような気がする。と言っても、あくまで分かったような気がするだけ。大陸と台湾の関係について、柄にもなく考え込んでしまった。この件に関しては、日本も絡んでいるから複雑である。独立したままでいるか、中国に併合されるか。台湾人にとってはどうなることが幸せなのだろう?

以下、各短編について。

「色陽」。娼妓の色陽は王本という男に身請けされ、匂い袋やわら人形を作って生活していたけれど、台湾に近代化の波がやってきて、そういう伝統工芸品が売れなくなってしまう。近くには紡績工場や鉄工所などの小型工場がいくつもできていた。王本が川辺で野犬の群れに肉まんじゅうを放って、犬たちがそれを奪い合うのって、まさに資本主義の競争原理を表している。競争しないと生きていけない。伝統が消えていくのは悲しいけれど、これは仕方のないことなのだろう。

「西蓮」。母娘2代に及ぶ話。まさか日本統治時代に言及するとは思わなかった。というのも、「色陽」も本作もそういうリアルな時空から浮いてる感じがするから。幻想の台湾を描いているというか。それにしても、台湾に「指腹為婚」(胎内にあるうちに婚約すること)という風習があったとは驚いた。あと、やたらと仲人が出てくる。

「水麗」。「西蓮」と繋がりのある短編。林水麗は舞踏家という華やかな職業で活躍しながらも、基本的には根無し草で何も持たない。一方、同級生の陳西蓮は、田舎で夫と子供を持って平凡な生活を送っている。果たしてどちらの人生がいいのだろう? 「隣の芝生は青い」という言葉の通り、お互い自分にないものを羨ましいと思ってしまう。

「セクシードール」。『乳房になった男』の系譜に連なる乳房小説といったところだろうか。夫の胸が女の乳房であったらと願う心理は理解し難い。あと、幼少期の記憶なりトラウマなりが、大人になっても影響を与えるのもなかなか実感できない。まあ、Twitterを見ていると、還暦間近の老女が学生時代のいじめ体験について恨み言を述べているので、引き摺る人は引き摺るのだろう。恐ろしいことだ。

「花嫁の死化粧」。二・二八事件からおよそ半世紀後。当時の生き残りである王媽媽と共に追悼活動をする。事件も悲劇だったけれど、追悼活動の最中にも思わぬ悲劇が起きる。さらに、王媽媽が息子に施した死化粧、スタイリストが作家に施した化粧と、各要素が二重螺旋のように絡まっている。この小説は序盤にちょっとしたユーモアがあって、それが悲劇を引き立てている。

「谷の幽霊」。清朝時代に刑死した先住民の娼妓が、300年の時を経て幽鬼として世に出てくる。これを読んで思ったのだけど、国民党政府に不満がある作家って、日本統治時代のことをあまり悪く書かないような気がする。相対的にはマシだったという認識なのだろうか? いわゆる「犬が去って豚が来た」(狗去豬來)ってやつ。もちろん、だからと言って支配を正当化してはいけないのだけど。

「海峡を渡る幽霊」。中国大陸と台湾というのは複雑な関係で、王朝時代から繋がりがある反面、日本の統治や国民党の移住によって、関係が凄まじくこじれてしまった。どうすれば台湾にとって幸せなのか? このまま独立を維持するか、それとも中国に併合されるか。個人的には前者がいいと思うけど、こればっかりは口出しできないよな。あと、本作を読んで、幽霊とは生きてる人間の罪悪感の表れじゃないかと思った。

「国宴」。宮中晩餐会のニュースを見るたびに、僕も外国に国賓として出席しておいしい料理でもてなされたいと思うのだけど、なるほど、独裁政権時代の国宴は機密事項だったのか。鴨賞(鴨肉の燻製)とか、胆肝(豚の肝臓の燻製)とか、民主化してからの台湾料理が美味そうだなあ。それにしても、独裁者って何で自分の死体を防腐処理して保存するのだろう? 普通に気持ち悪い。