海外文学読書録

書評と感想

ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』(2015)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

最初の悪い男 (新潮クレスト・ブックス)

 

★★★

43歳独身のシェリルは、護身術エクササイズのDVDを販売するNPO団体の職員。彼女はそこの理事を務める65歳のフィリップに恋をしていた。やがてシェリルは上司の娘クリーを家で預かることに。クリーは20歳のビッチで、当初はシェリルと敵対して暴力を振るっていた。しかし、クリーが妊娠することで2人の関係は変わっていく。

「なるほど。将来、ですか」ドクターの顔にふっと影がさした。「お子さんが将来ガンになるかどうか知りたい? あるいは車に轢かれるか? 躁鬱病になる? 自閉症になるかどうか? ドラッグ中毒になる? それは何ともわかりません、私は超能力者じゃないのでね。子供をもつとはそういうことなんですよ」そう言うと、ひらりと身をひるがえして行ってしまった。(p.262)

最初は癖が強くて読むのがきつかったけれど、終わってみれば随分と遠くまで連れてこられていてまあまあ良かった。癖が強いというのは、主にシェリルとクリーの人物像である。シェリルには妄想癖があって、9歳のときに出会った赤ん坊をクベルコ・ボンディと名付け、彼との再会を夢見ているし、さらには性的にも自分を男性に見立てて、妄想上のペニスで射精までしている。んー、何かぶっ飛んでるなあ。40代の独身女性ってこんな感じなのだろうか? 生憎、僕はおっさんなので理解不能である。あと、クリーはクリーで今時の若者らしく何を考えているのかさっぱり分からない。シェリルの家に居候してるのに全然遠慮してないし、あまつさえシェリルに暴力まで振るっている。43歳のシェリルと20歳のクリーは親子ほど年齢が離れているので、2人の間に相互理解が働かないの分かるけど、傍から見てる読者からしてもまったく理解できないのはなかなかすごいと思う。そもそも日本の若者は若いくせに物分りが良くて、表面上は年上に対して敬意を払うからね。普段そういう環境で生活しているから、クリーみたいな剥き出しの野生は想定外なのだ。さらに、シェリルとクリーはお互いの暴力をゲームとして日常に組み込んでいて、ここまで来るともうおじさんにはお手上げって感じである。アメリカで生活していたら理解できるのかな? あるいは僕が女性だったら理解できる? ともあれ、2人の関係はかなり特異で癖が強かった。

でも、そんな2人も物語が進むにつれて関係が変化していく。敵から母親へ、そして恋人へ。この「変化」というのが本作に限らず小説全般のキーワードで、僕はこの変化を求めて小説を読んでいるのだと実感した。よくよく考えてみたら、たいていの小説は最初から最後までに、心理なり状況なりに何かしらの変化が生じているわけだ。プラスにせよマイナスにせよ、すべてがまったく動かない小説は珍しいと思う。人物の変化を一般的には「成長」と呼んでいて、大多数の読者は、人が成長するのを見るのが好きなのだ。売れてる小説って、この成長が上手く描かれているから売れている。人生は変化の連続であり、変わらないものなど何もない。それはフィクションの中でも同様で、我々は作り話のなかに人生を投影している。

ところで、本作には出産の場面があるのだけど、赤ん坊を産んだ後に母親が自分の胎盤を食べたのにはびっくりした。アメリカって先進国なのにまだこんな風習があったのかよ、みたいな。日本だととっくの昔に胎盤を食べる風習はなくなっていて、だいたいは胎盤処理業者が処理している。思わぬところでカルチャーギャップに遭遇して、つい動揺してしまった。海外文学を読んでいると、たまにこういうことがあるから面白い。