海外文学読書録

書評と感想

ロレンス・ダレル『セルビアの白鷲』(1957)

★★

ユーゴスラビア南東部の山中で、英国大使館の職員が何者かに殺された。現地ではセルビア王党派の白鷲隊が、チトー政権を転覆させようと画策している。英国諜報員のメシュインは単身で現場に乗り込み、大好きな鱒釣りをしつつスパイ活動をすることに。やがて彼は白鷲隊と行動を共にし、ある重要な情報を掴むのだった。

彼はその日の踏査の模様を簡単にまとめ、さらに滞在をのばすつもりであると書き添えたが――もっともいつまでとは書かなかったけれど――これには大して時間はかからなかった。彼はドンビーに宛てて、報告書の他に短かい手紙を書き、元気でいることと、釣りがすばらしいことを知らせた。それから、この退屈な仕事を片づけてしまうと、ピストルの手入れをし、装備の点検をすませてから、三〇分ばかり『ウォールデン』をひもといて、そのなぞめいた滑らかな散文を心ゆくまで楽しんだ。いつ読んでもあきることのない文章だった。なかに神のお告げのようなものが含まれているような気がしたが、それが何であるかは、わかるようでいて一向につかめなかった。(p.131)

ユーゴスラビア大自然を舞台にした異色のスパイ小説だった。ユーゴスラビア社会主義国家なのにソ連の衛星国じゃなかったことで有名だけど、作中ではまだソ連とは対立しておらず、革命政府と反革命勢力(王党派)の間で火種が燻っている。冷戦時代のスパイ小説と言ったらだいたいはソ連絡みなので、ユーゴスラビアを舞台にしていたのは率直に言って珍しかった。僕はこの国のことについてはよく知らないのだけど、王党派はパリに亡命政府を構えていて、共産主義者と同じくらいイギリスを憎んでいるらしい。イギリスは共産主義者のことを助けていたとか。で、ユーゴスラビアの山奥には王党派の白鷲隊が潜んでいて、政権の転覆を企んでいる。白鷲はセルビア王党派の記章なのだった。ユーゴスラビアにしても白鷲隊にしても、スパイ小説としては珍しい題材だと思う。けれども、その割にはありきたりなつまらないアクションが展開されていて、スパイ小説というよりは冒険小説に近い内容になっていた。正直、期待はずれの感は否めない。

そういうわけで、本作の読みどころは英国諜報員メシュインが大自然の中でサバイバルをするところだろう。『ウォールデン』【Amazon】を愛読する彼は、大好きな鱒釣りに興じつつ、山奥の洞窟で一人孤独な生活を送ることになる。現代日本に住む我々は、登山もキャンプも管理された安全な場所でやることが当たり前になっている。たとえば、『ゆるキャン△』【Amazon】というアニメは、女子高生が休日に様々なキャンプ場でキャンプをするというまったりした内容だ。そこには危険な要素は一切ない。キャンプ場にお金を払ってキャンプをする。そういう安全なアウトドア生活が描かれている。翻って本作はどうかというと、ガチのサバイバル生活が描かれており、だからこそ興味を引くものになっている*1。こういうのは実際にはやりたくないけど、活字で読むぶんには冒険心が刺激されるので、虚構の中の大自然はいいなあと素直に思う。

本作はユーゴスラビアという珍しい題材を扱っているので、ミステリマニアを自認する人は必読かもしれない。たぶん、読んでる人は少ないんじゃないかな。

*1:こう書くとガチじゃない『ゆるキャン△』がつまらないと思われそうだが、作品としては『ゆるキャン△』のほうが圧倒的に面白い。キャンプを題材にした高品質な日常ものである。