★★★★
胎児の「わたし」が母親の腹の中で外界の様子を探る。どうやら母親のトゥルーディは父親と別れ、彼の弟クロードと愛人関係にあるようだった。しかも、2人は共謀して父親を殺害しようとしている。クロードは「わたし」が産まれたら他所へ養子に出す算段だった。「わたし」は状況を変える術がないまま、事件の推移を物語る。
自分の鼻先数インチに父親のライバルのペニスを突きつけられるのがどういうことか、だれもが知っているわけではないだろう。妊娠末期のこの時期になれば、わたしのために自制するのが当然ではないか。医学的見地から要求されるわけではないとしても、それが礼儀というものだろう。わたしは目をつぶり、歯茎を噛みしめて、子宮の内壁に体を押しつけて踏ん張っている。ボーイング機の翼がもぎ取られかねないほど激しく揺れる乱気流。母は遊園地ぽい絶叫を発して、愛人を駆り立て、鞭を当てる。ロック・コンサートの死の壁みたいなものだ!(p.26)
これは面白かった。プロットは不倫関係の男女が寝取られ男を殺害するありきたりの犯罪ものだけど*1、その様子を胎児が語るというアイデアが秀逸すぎる。語り手はまだ産まれてないので当然のことながら名前がない。名無しの彼は胎児なのに成熟した人格を持っており、大人顔負けの豊富な知識と語彙を駆使して縦横無尽に語り倒している。本を読まない昨今の大学生よりも、遥かに教養が深くて思考力が高いのが可笑しい。こういうのはやり過ぎくらいがちょうど良くて、やはりフィクションにはこれくらいの大胆なはったりが欲しいと思う。ありふれた出来事を特別な方法で語る。現代文学は「何を語るか」よりも「どのようにして語るか」に力点が置かれているけれど、本作はその極北に位置すると言えるだろう。
全体的には手垢のついたプロットではあるものの、父親がトゥルーディとクロードの前に愛人を連れてくるところは捻りが効いているし、殺人が成功するか失敗するかの瀬戸際はけっこうドキドキしながら読んだ。読んでるほうとしては、上手く相手の計画を回避して生き延びろと思うのだけど、一方でもしそうなったら話にならないわけで、本作はその辺の焦らし方が巧妙である。語り手の「わたし」は胎児なので状況に介入できない。基本的にはただ語るだけの存在だ。しかしながら、彼なりに父親の仇を取ろうと意外な行動に出ているのだから油断できない。本作はフィクションならではの逸脱が最高だった。
語りの芸で読ませるところは、同じ作者の『初夜』【Amazon】に似ているかもしれない。また、語り手がぶっ飛んでいるところは、スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』【Amazon】を思い出した。個人的には、大上段に構えたシリアスな小説よりも、こういう人を食った小説のほうが好みである。